悪いクセ

ヨガ
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 ヨガの道場に通い始めた頃、師匠から言われたことを今、ふと思い出した。
「大地さんはウサギとカメの話のウサギだと思う」。
 的確すぎて返す言葉もないくらい、鋭い洞察だなと今でも思う。そう、わたしはウサギのような人間で、最短距離を最速で駆け抜けたがる。まぁ、じっくりと落ち着いて「いつかはできるようになるよ」とのんびりと構えていることができない。この目標を達成するためにはどうやっていくのが最短なのかとついついやってしまう。だから、物事をこうだろうと自分で見切りをつけてしまうことも多くて、「これをやっていても仕方がない」「やるだけ意味がない」などとすぐに
決めつけてしまう。
 と言いつつも、数学ができるようになりたいのに社会や英語をやっていては、できるようにならないのは当たり前のこと。
 でも、「急がば回れ」って言うよね? 急いでいる時に最短距離ではなく、あえて回って遠回りをする。その方がかえってゴールには速く着くらしい。
 目的、つまりゴールに到達するためにはどうしたらいいのかという話なのだけれど、そのゴールって達成するだけの価値があるの? いや、その前に自分がゴールだと思っていたのがゴールではなかったら? あるいは、スタート地点もゴールもそもそもなかったら? いやぁ、困りますよって感じでしょ? 懸命に頑張って、頑張って、それが大した場所ではなかった。ご愁傷様です、ってか。それは言わないお約束だとは思うんだけど、そうなってしまうとキツい。
 そんなウサギさんモード全開のわたしは最近、実は激不調に襲われていた。なんて、わたしが自分語りをするのも何だから、そういったことにはあまりふれずにいろいろと語るのなら、やっぱり自分のやっていることに意味や価値が感じられないと精神的に不安定になりますよね、ということを言いたいわけだ。
 これまで生きてきたこと、その中でやってきたこと。今、やっていること。そして、これからの未来。それをもっとはっきりと具体的に言うと、自分が生きてきたこと、今、生きていること、これからも生きていくこと、最後に死んでいくこと。それらがどうやら意味がないことだと最近、海へ行ってくつろいでいる時に何となくではあるものの、分かったような気がした。海はわたしにこんなことを言っているかのようだった。
「生きたければ生きればいいし、死にたければ死ねばいい」。
 そそ、そんなとは思うものの、どうやらそれが真理のようだった。となれば、実行あるのみ。ウサギ男の有言実行ものがたりのはじまり、はじまりー。
 で、それで死んだの? どうなったの? それとも死ぬのをやめて凡庸に生きることを決意したの? うーん、こうして新しい記事を書けていて更新されているくらいですから、 ゴーストライターとかかげ(未完)

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