アイドルの推し活をしようと思ったけれどもやっぱりやめましたというお話

いろいろエッセイ
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 わたしにとってのアイドルは誰かと言うと、もちろん広末涼子さんしかいない。彼女が10代の頃からわたしは熱烈とまではいかないまでも、それなりにぼちぼちと写真集やDVDを買ったり、TVや映画を見たり、と地味なファン活動をしていた。その一部は彼女の懐へと流れていたわけだから、まぁ、これも立派な推し活と言えば推し活。
 最近、本屋さんへ行ったら、たまたま女性アイドルの雑誌が先月号ということで半額になっていたので、興味本位ながらも買ってみた。
 そうしたら、わたしは一人のあるアイドルの女の子に目が釘付けになった。全身にすさまじい衝撃が走ってハートを射抜かれた。かわいい!! この子はかわいすぎる。やばい。急にドキドキしてきて(年寄りの不整脈じゃないけど、中高年の不整脈は危ないよ)思いついたこと。そうだ、この子を応援しよう!!
 というわけで、早速、その彼女が所属している某グループのCDを買ってきた。さらに、月1回のブログを更新するためにネットをやる貴重な時間を使って、彼女が書いているブログも読んでみた。
 そうすれば、もちろんそのアイドルの女の子に夢中になってのめり込むこと確実、かと思いきや、急にあの熱気はどこへやら冷めてしまったのだった。
 この文章を読んでいる人は、どうしてこんなに簡単に冷めてしまったのだろうと疑問に思うはずだ。でも、冷めた。冷めました。冷めたのです。
 というわけで、一週間も推し活をしていないのに、なぜわたしの推しへの気持ちが冷めてしまったのか少しばかり書きたいと思う。
 わたしがそのアイドルの女の子に対して冷めてしまった理由はいくつかある。
 まず、彼女のブログを読んだ時に、そこに寄せられていたファンの人たちのコメントを見てやる気がなくなった。そこにはファンの人たち(ほぼ男性)からの200件近いコメントが寄せられていて、それを見た時にわたしの熱い気持ちは消火されてほぼほぼ鎮火されてしまった。何だ、別にわたしがこの女の子を推さなくても問題ないじゃないかと思った。わたしが応援してもしなくても、ほとんど関係ないだろと感じたし、そう言われているような気がした。わたしが推して応援しなくても彼女にはたくさんのファンがいる。だから、困らない。コメントをしていたのは200人くらいだったけれど、コメントをしていない彼女のファンはこの何倍(何十倍、何百倍?)もいることだろう。それだけたくさんの人から愛されて「かわいい」「素敵」その他、もろもろの賞賛や好意を日頃から浴びているような彼女にとって、わたしという一人の人間が好きであろうがどうだろうが、応援して推そうがどうしようが、どうでもいいような。そんな風にしか思えなくなってきていた。
 そして、彼女のブログの文章を読んでさらに冷めた。とうか、かすかに残っていた情熱がその文章で完全に消されてしまった。
 彼女はその文章で、たしか「あなた」という呼び方で読者のファンの人たちに語りかけていた。彼女は文章で饒舌に語る。そして、パソコンの前で「自分はダメだ」「自分には価値がないんだ」と悩んでいるような自己肯定感が低めの男性をターゲットにしているのか、必ずどの記事でもはじめのほうで「あなたは一生懸命で立派で価値があります。キラキラ輝いていてまぶしくて素敵です」と読者であるファンの人たちと、彼女に興味関心を持ってそのブログに来ただけの人たちのことをやたらとほめて肯定する。自分ができる限りの最高のエールを送るのだった。
 わたしはそのアイドルの女の子が発している言葉が正直、疑問でそれなりに不快だった。顔も知らない会ったことさえない面識が全くない人(たち)のことをほめるなんて無責任だと思った。もちろん、人生経験も浅い10代の女の子だから彼女は本当に考えて考えてアイドルの自分にできることはこれだと思って書いているのだろう。自分がファンの人たちをほめれば、きっと喜んでくれるだろうし、幸せを感じてくれるはず。そんなすごく純粋な思いを痛いほど感じる。
 けれども、考えてみれば、これはごくごく当たり前のことで、どこか駅、広場、公園などの人が大勢いる場所で聴衆たち(つまり、関心を持ってそこに来ている人たち)に「あなたには価値があります。素晴らしい人で光り輝いています」などと言っても、「わたしのことを何も知らないのにどうしてそんなことを言えるの?」となりかねないと思う。これが特定の人たち(たとえば真面目な人や一生懸命な人や優しい人など)には価値があるというだけの一般論的な話(原理的な話と言ってもいい)ということなら、まだ分からなくもない。しかし、具体的な個人に対してその存在を肯定して価値があるなどと言うためにはその人のことを知っていなければならないはずだ。でないと、そのほめ言葉はむなしい言葉でしかない。
 わたしの場合だったら(他の人の場合もそうではないかと思うけれど)、わたしのことをよく知っている人から「よくやっているね」「素晴らしいね」「あなたの人生には価値があるよ」「ステキだよ」と言われたい。何もわたしのことを知らない人からこういう言葉を言われても「はぁ? 何言ってんの?」という風にしかわたしには取ることができないし、そうとしか思えない。ましてや、わたしのことを微塵にも知らない人からわたし自身の存在や価値を肯定されることほど反感を覚えることはない。お前は神なのかよって感じだ。
 何十年も共に過ごしてきた家族、友人、パートナーなどから言われる言葉と通りすがりのわたしのことをほとんど全く知らない人から言われる言葉とでは同じことを言われたとしても、言葉の重みが違うし、通りすがりの人には相手の人生をジャッジする踏み込んだ言葉を言う資格はないとわたしは思う(相手に対して失礼でさえある)。
 最後に、わたしにとってのかなり決定的な冷めた理由として、どんなにお金を使って彼女を推して応援してもそのアイドルの女の子とセックスすることができないだろうということがある。言うまでもなく、わたしは良家の子息ではないし、親が医者や弁護士、会社の社長や役員などをしているような高給取りでもない。何とか慎ましい生活を送っている、しがない経済的にも貧しい男なのだ。そんな男をその女の子が選ぶかと言えばまず選ぶはずがない。アイドルという仕事を選ぶくらいだから、お金についてはすごくシビアだろうし、お金持ちで社会的地位が高い人や一流のスポーツ選手やイケメン俳優を選ぶだろうことは言うまでもなく分かり切っている。そんな前途有望な彼女は、望めば勝ち組でハイスペックな男性と関わっていける可能性が十分にあるのだから、わたしにはそもそも勝ち目がないし、門前払いだと思う。
 それだったら、なけなしのお金をセックスができる可能性がほぼゼロのそのアイドルにつぎ込むのは現実的ではない。それよりは彼女を作ったり、水商売のお姉さんに堅実に(不思議な表現だけれど、「堅実に」節度を守って)お金を使って確実にセックスをした方がいい。
 と書いていると、わたしは女の子、つまりは女性に何を求めているのだろうという話になってくるし、それを避けることはできない。
 胸に手を当てて静かに自分に聞いてみると、どうやらわたしは女性、女の人という形をした性的なおもちゃがほしいだけのようだ、というゲスすぎて吐き気すら催す、大多数の女性たちから嫌われて迫害されかねない答えが聞こえてくる。ということなら、別に人でなくてもよくなる。心を持った人である必要はなくなってくる。
 これからの時代、科学技術がさらに進んでいって、人間と何一つ変わらない、いや、区別することさえできないロボットやアンドロイドができてしまったら、多くの(もしかしたらほぼすべての?)男たちは人間の女性(あるいは性的少数者の場合には男性かもしれない)には見向きもしなくなって、その自分にとって都合がいいように作られた機械を愛して、その機械の女の人と一緒にいたがることだろう。そして、その機械は、自分を傷つけることなど一切言わずに、自分が言ってほしいことしか言わない。自分がしてほしいことは全部してくれて、してほしくないことはせずに自分の地雷を踏まれることもない。自分好みの自分仕様に作られてプログラムされたまさに理想の女性。
 いや、未来には、もうロボットとかアンドロイドとか回りくどいことを言う必要はなくなっているのかもしれない。その頃にはもう、みんなが脳味噌だけとして存在しているか、データとして機械の中で永遠に生きているかのどちらかになっているのではないかと思う。脳味噌だけなら、その脳味噌を電気で刺激して美しい最高の望み通りの人生という夢、幻をいつまでもいつまでも見せ続けていればいい。データとしての意識として生きているのなら、その意識にこれまた同様にすればいい。わたしだったら、その完璧に作られた夢、幻の世界の中で大好きな広末さんといつまでもいつまでも一緒に幸せに暮らしていることだろう(もちろん好きなだけセックスもして)。
 こうなってしまうと、もはやアルコール依存や薬物依存などとは問題のレベルが違うことにお気付きのことだろうと思う。自分にとって都合のいい世界へ完全に現実逃避しているのだから当然と言えば当然だけれど、それでも、「現実のこの世界に留まって生きていこう」という人はいるのだろうか。いるとしたら、どれくらい残っているのだろうか。
 そうなった時に、この現実の世界に生きることにメリットがあるのだとしたら、「思い通りにならないこと」と「苦しみがあること」くらいではないかと思う。それ以外は現実感覚(身体感覚。人間の五感、知覚)も含めて作られた世界と何一つ変わらない。となれば、「現実って何なんだ? 何なんだよ、教えてくれよ」となるだろう。
 現実って何なんでしょ? この現実はそもそもちゃんと実在しているの? あると思っているけれど、本当はなくて誰かによって幻を見せられているだけなのかもね。あるいは、本当のわたしは未来人で26世紀の世界に生きている50代の女性だったりして。その女性が未来の人生ゲームで40代の男性としてプレイしているだけなのかも。そんな馬鹿な。でも、そうではないって証明できるのかと言えば、荒唐無稽な話だけれどできないはず。
 う~ん。わたしって誰? わたしって何者? 話が何かものすごく大きくなってきました。「俺に幻を見せている黒幕のラスボス、いるんだろ? いるなら出てこい!!」。

(笑?)(笑?)(笑?)(笑?)

 笑っていいのか、コレ?
 とりあえず、アイドルの推し活はしないことにしましたので、そのご報告をしたまでです。長いな、この報告。
 夢と希望と、そして愛ではなくて劇薬が少々混ざってますから、ご飯にかけるとおいしいですよ。いえ、愛も入ってますよ。ちゃんと劇薬と一緒にね。キメ台詞で格好良く決めたと勘違いしてるけど、しまんないよね。
 セレネース5mgはないよりも、あった方がいい。何で? だって昭和40年代にできた古い薬らしいからさ。どういう意味なんでしょ。分からないな。教えて、おじいさん~、教えておじいさん~♪ でも、夜中に枕元に立つのだけはやめてください。こわいと思いますので。

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