人間、どう生きるか? 生きるべきか? なんてことは、今のわたしにとってはどうでもいい。なぜなら、痛いからだ。激痛でとにかく痛いからだ。
昨日(8月の中旬のある日)、朝起きたら少し首と肩のまわりがつっぱっている感じがした。でも、ヨガはできるだろう。そう思って、ヨガをしに街へ出掛けた。で、ヨガの途中、そこそこ痛い感じになってしまって、レッドクラスという先生の号令に従って全員が一斉に同じポーズをとるクラスだったから、先生から途中でストップがかかって、後半、一人寝て横になっていた、という感じだった。とは言えども、そんな激痛などではなくて、顔をゆがめるほどの痛みではなかった。
ところが、帰ってきてしばらくしたら、つっぱる感じが増して、凄まじい激痛に襲われた。首から肩にかけて、ガチガチに張ってつっぱってものすごく痛い。ハアハア、息を荒くしてしまうくらいの痛みで、それが常に続くわけではなかったけれど、断続的にやってくる感じだった。痛くて脂汗が出るというのはこういうことで、大の大人があまりの痛さにうめいている。そんな感じだ。
で、昨日早めに寝たものだから、夜の12時くらいに目が覚めて、今、執筆している。が、昨日と同じくらい痛い。激しい激痛にもだえながらこの文章を書いている。ハアハア息を痛みで弾ませながら何とか必死の思いで書いている。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。とにかく、痛い。痛くて、痛くて、苦しい。本当、痛い。わたしが今までこのブログを通して書いてきた文章、そして思想。そんなもの、どうでもいい。今のわたしにとっては、それらはただの戯れ言、戯言でしかない。言葉の戯れでしかなくてどうでもいい。
思想。そんなものは痛み、それも激しい苦痛、激痛のまっただ中では意味をなさない。どうでもいい。とにかく痛いから、この状態がおさまってほしい。解放されたいと思う。
幸いなことに、寝て横になっている時には痛みがおさまる。それもきれいにほぼなくなると言っていい。横になろうか。ベッドに戻ろうか。でも、そんなに痛いのにどうして今、書いているかと言えば、書かずにはいられない、今、感じて思っていることを書き残しておきたいからだ。
これすらも、この激痛さえもわたしの以前の考えでは幻であり、夢だということになるのだろう。が、痛い。夢や幻なのかもしれない。でも、痛すぎるくらい痛い夢、幻だ。
長い文章で書かれた思想はただのお遊びでしかない。身体感覚を伴わない頭だけでつくった思想は戯れ言だ。どうでもいい言葉遊びだ。そんなことを思ってしまうくらい、今、痛い。
痛みの思想。激痛の思想。エヴァンゲリオンの綾波レイが物語のはじめのほうで碇シンジの前で激痛にうめき、もだえていた。その時の綾波ほどの痛みではないだろうとは思うけれど、襲ってくる痛みに今のわたしは彼女と同じ表情をしていて、激痛にもだえている。たぶん、これが終わることなく続いたら絶対おかしくなる。痛みが続けば人はおかしくなって狂う。
わたしに以前、「働け」と言ってきたYさんがわたしの書いた文章を「無駄なおしゃべり」だとたしか言っていたと思う。違う意味だろうけれど、Yさんが言っていたように、激痛と共にある今のわたしは思う。無駄なおしゃべり。本当、どうでもいいよ。あんな戯言、戯れ言。あんなどうでもいい文章。そんなことよりも、とにかく今は痛い。痛い。痛くて痛くて痛くて痛い。痛いよ。
これは、神様からの痛い痛~い好き放題やっているわたしへの懲らしめ、罰なのか。あるいは、カルマの法則の通りに、以前わたしが行ってきたことが返ってきているだけなのか。
ただ、気付いたことがある。痛みがない、来ていない時ってすごく幸せなんだ。痛みがやんでいるその時、無上の幸せを感じる。そして、痛みの渦中にある時、なぜか死に神が遠ざかっているような感じがする。まぁ、この痛みが絶え間なく続いたら苦しすぎて自ら死のうとするだろうけれど、幸いやんで痛みがない時がある。
本物の思想は、この激痛の時にもかすまないようなものなのだろう。それこそ、本当の本物の思想。それ意外は戯れ言のどうでもいい観念遊戯でしかない。
断続的にやってくる痛み、それも激痛にもだえながらここまで書いてきた。横になろう。そして、今日病院へ行きたい。
痛みと痛みの間の痛みがない時に感じる一時の安らぎ。激痛の哲学ですか。今、どう思う? 痛い、痛い、痛い、痛い。ただ、それだけ。で、痛みがない時、すんごく幸せ。以上。短すぎて哲学にはならないと思うけれど、これが正真正銘の哲学なんじゃないかと。
ああぁ~、痛え(いてえ)、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、病え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え、痛え。
一箇所だけ「痛え」ではなくて、「病え」になってますけど、間違いに気が付きました? ってそんなしょうもないことやってる場合じゃない。横になろう。痛いです。
最後に一言。「病えよ」(最後に誤字ですか)。

エッセイスト
1983年生まれ。
静岡県某市出身。
週6でヨガの道場へ通い、練習をしているヨギー。
統合失調症と吃音(きつおん)。
教会を去ったプロテスタントのクリスチャン。
放送大学中退。
ヨガと自分で作るスパイスカレーが好き。
茶髪で細めのちょっときつめの女の人がタイプ。
座右の銘は「Practice and all is coming.」「ま、何とかなる」。