いろいろエッセイ精神障害
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 以下、この文章には一部、性的な内容が含まれておりますので、興味がない方や不快感を持たれる方はここで読むのをやめてください。
 と注意書きをしたところで、また始まるんですかい? 星さんのエロ談義がと思われた方もいることだろう。でも、何もわたしはそういうことを語りたいのではなくて、結構真面目な話をしたいなぁと思っているのでご安心を。
 人は自分が調子が悪くなったり、今一つだったり、危機的な状況になったりすると薬を求める。化学薬品的で物質的な薬だけではなくて、何かをやったり、どこかへ行ったりといった対処法のようなものを求めるもの。
 わたしは死にたくなると、デビッド・D・バーンズ『いやな気分よ、さようなら』を読んだり、自然がある公園へ行ったりする。でも、たしかにそれらも効くのだけれど、最近ある場所へ行ってみたらすごく落ち着いた。それはどこか? いや、だからね。ここからがアダルト的な内容になるわけですよ。そう、どこへ行ったのか? アダルト書店へ行ってきたのです。
 って、おじいさんの形見の腕時計を身に付けて「しっかり生きろ」と言われているような気がしたからしっかりやっていきたい、みたいなことをこの前書いたばかりなのに、それって矛盾してるよね、と思うかもしれない。でも、何だか外出中に気持ちがくさくさしてきたものだから、行ってみようと思って行ってきたのだ。実はその時、少し死にたくなっていて、何かに引き寄せられるかのようにその書店へとわたしは向かったのだった。
 店内に入ると、そこはエロDVDとエロ本が大量に棚に並べてあってまさに男の楽園だった。というか、ここまでエロだと、かえってひくというか何というか。あぁ、わたしは根っからのエロではないんだな、と自分自身のレベルが低いことにまだまだ(?)だということに気付かされたのだった。この店にはアダルトなDVDが何枚あるのだろう? そう思ってしまうくらいひたすらエロで埋め尽くされていた。
 が、こんなにご褒美というか、わたしが馬ならおいしいニンジンがこれだけたくさんあるのに、わたしの食指は一向に動こうとはしない。それだけ疲れていたり、メンタル的にも下がっているということなんだろうけれど、この自分の精神状態がまた別の意味でこの場所と乖離しているのをただただ眺めていた。
 これだけのDVDのタイトルを一つひとつていねいに見ていると、半日くらいかかってしまいそうだったし、沸き立つものも特になかったので本を斜め読みするのと同じような要領で店内を雑に見回していたわたし。と、あるDVDを発見してしまう。こ、これは!! これは入手困難な激ヤバな奴じゃないか。これは買わなければ損だ。プレミア物だ。かと言えばそういうものではない。けれど、このDVDを見つけた時、思わず笑ってしまった。そして、神様の思し召しのようなものを感じた。
 そのDVDは何とヨガのDVD!! 何でこんな場所にあるんだと驚きをわたしは隠せなかった。ヨガのDVDとかいってもまたどうせ女の人が裸でヨガをしているとかそういうやつなんでしょう? いやいや、違う。すごく真面目なヨガのDVD。ちゃんとしたヨガの先生が出しているDVD。ものすんごく真面目なやつ。エロ要素なんて微塵もない。ここが完全にエロ空間であるだけにこのDVDの存在がものすごく浮いていると同時に何か光りを放っているような、そんな感じさえした。
 このヨガのDVDの表のパッケージには女性のヨガの先生がポーズを取っている。これは中古だからお店の人もアダルトなものだと勘違いしたのかもしれない。しかし、いやはや面白いというか何というか。アダルト書店に来てガチで真面目なヨガのDVDを手に取るなんて本当できすぎている話だと言ってもいい。しかも中級者向けとのことでわたしにピッタリ。神様はいるんだな、きっと。
 メンタルが下がっていたわたしだったけれど、店内を15分くらいぶらぶらと見ていたら何だか気持ちが落ち着いてきた。その時思ったことが「少しくらいダメでもいいじゃん」ということだった。もちろん自分や人を傷つけることをしてはダメだけれど、そうでないならまぁいいんじゃないの。そんなに完璧に物事をやろうとしなくていいよ。60点とか70点くらいできればそれで十分。むしろ、少しくらいダメな方が愛嬌があっていい。そのダメなところがチャームポイントだよ、ってね。もちろん、体にいい食事をして、しっかり運動もして、早寝早起きの規則正しい生活をして、快眠快便というのができたら最高だろう。でも、そうでなければダメだ。何が何でもキラキラでなければならないんだ。清く正しく生きなければダメなんだとまで潔癖というか完璧を求めてしまうと苦しくなってくる。たしかにそれが24時間365日、死ぬまでひたすらストイックにできる人はいい。けれど、果たしてそこまでやる必要があるのかどうかと言えばどうなんだろうと言えなくもない。
 店内を歩いている時、わたし以外にもお客がいた。そのお客の男性はものすごく真剣にDVDを選んでいて手には1枚持っていた。その様子を遠くから見ていたら、何かすごくかわいく思えてきていじらしかった。その人が家に帰ってからそのDVDを見ているところを想像してしまったからだ。それは何も不快なイメージではなくて、むしろかわいく思えた。その人のモテなさそうなイメージがよりそれを際立たせていたのかもしれない。
 毎晩毎晩、そう、毎日のように美女とセックスしているようなモテる男はこの場所にはおそらく来ない。一人で日夜、自家発電に励む男が来ている場所なのだと思う。そんな場所だからこそ、ちょっとくらいダメでもいいじゃないのという気持ちにさせてもらえるのだろう。少なくともそこまで完璧でなくてもいいじゃないかとわたしは店内で思った。
 とてもじゃないけれど、わたしは悟りとか解脱とか聖者になるとか無理なんだろうなって思う。解脱するためにはあと少なくとも千回、いや1万回は輪廻を繰り返さなければならないような気がする。
 わたしはここまで自分のできる範囲ではあったけれど、それなりに生きてきた。自分を高めようとしてきたと思う。でも、それすらもすべて一切合切、全宇宙とか万物といった視点に立つならすべては等しい。ただただ等しく一つなんだという結論になるのではないか。となるとどうして自分を高めたり、より良くなろうとするの、という疑問がわいてくる。わたしはまだその答えを知らない。根源的な意味において納得のいく答えを知らないのだ。でも、たしかに言えることは、より良くなろうとして努力をしたり、健康的な生活を送ったり、人として誠実な生き方や行動をしたりするとすごく気持ちがいいということ。
 話を戻すと、そしてわたしはヨガの真面目なそのDVDを500円で買った。そのDVDを店の人は外側から見えないように何も言わないで小さい黒のビニール袋に入れてくれる。「だから、違うんだってば。真面目なやつなんだから」。そう言いたい気持ちをこらえて少しばかりそのことが妙におかしくて笑いそうになりながら店を後にしたのだった。
 腕にはおじいさんの形見の時計。おじいさんがわたしを守ってくれたんだな。このアダルト書店まで導いてくれたんだな。そんなことを思った。あ、くれぐれも思い出されないおばあさんのこと(このブログにも登場した京都のお豆腐を食べて嬉し泣きしたわたしの祖母。祖母も今は故人)を不憫だとか思わないでね。最近、母と食事をしている時にぽつぽつ話題にしてますから忘れてはおりません。
 アダルト書店で真面目なヨガのDVD。祖父の時計を身に付けるようになってから不思議なことが続いているような。いやはや。
 それはともかく(「ともかく」とか言って片付けていいのか?)自分にとっての薬(のようなものも含む)を見つけることはすごく大事だと思う。それも、できたらお金があまりかからなくて体に悪くないものがいい。自分の体と心の声を聴きながらやっていきたい。あなたもぜひ。

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