街へヨガを習いに行くようになってから、街のことにもだいぶ詳しくなってきた。カフェの飲み物の値段やパン屋さんのパンの相場のようなものも分かってきたし、雰囲気もつかめてきた。
昨日、母が街へと出掛けた。そして、帰ってきてわたしに言ったことがとても印象的だった。それはわたしが作った手料理を食べている時のことだった。
「お金を出して美味しいものを食べるだけがすべてじゃないんだね。手作りの料理はすごく美味しいね」と昨日のことなので正確には言葉を再現できていないのだけれど、母はこんなことを言った。そして、わたしはそれに対して「本当の贅沢というのは自分で作った料理だと思う」と言った。
今、街では夏で暑いからかき氷が人気があるようで、高級なものになると1400円とかするそうだ。1400円か。1400円あったら普通のお店で定食とか食べられるのに。そのことを知って、値段設定がおかしいんじゃないかとさえ思った。まぁ、街ではカフェで飲み物を注文するには安くても500円かそれ以上、700円とか800円もするのが普通な感じだから、いやはやお高い。っていうか、700円とか800円もあったら普通にスーパーでちょっと高めの果物とか買えますけど。
そういうハイクラスな生活というか暮らしを街へ行くと見せつけられているわけですが、何かそれは本質ではないような気がしてならない。
一番の理想は、安くて、希少なものを使うことなく、そんなに作るのに手間もかからず、環境にもやさしい。そして、もちろんそうして作られたお料理がおいしい。それが一番の理想なのではないかと思う。
何も街のカフェで優雅に飲み物とか飲まなくても生きていける。コンビニの108円のペットボトルの麦茶とか、もっと節約するならマイボトルの水筒に入れてきた水でいい。
本当の贅沢とは、いかに金をかけるかではなくて、いかに金をかけないで質の高い物を飲んだり食べたり、または食べ物以外でも手に入れるかということなのだと思う。
わたしは自分で作った料理を母と一緒に食べている時、すごく贅沢だなぁと思う。きっとこれでいいのだろう。うむ、そのはずだ。

変な人。
普通ではないと思う。
わたしが思っていることを言うとみんなひく。
そして、目の前にシャッターを下ろされて、
まさに閉店ガラガラ~。
わたしは気が付くと蚊帳の外。
なぜなら、今、大人気の
カヤノソトボーイズの2期生の瞑想担当だから。
最近、瞑想してないけど。でも、瞑想担当なんで。
そう、なんか浮いてるの。
この世界、日本という社会から。
わたしは何だかんだ生きづらい人生を送ってきた。
「もっと苦しくてつらい人はいっぱいいる。
お前のは大したことないだろ」、と言うやついるけれど、
苦しさ、大変さ、生きづらさはその人が感じていること。
その人の苦しさを分かっているのはその人だけ。
気が付いたら職歴ゼロ、社会経験ゼロの立派なメンヘラのおじさん。
わたしはしゃべんないほうがいいと思う。
しゃべるとその見た目にあまりにもギャップがありすぎるから。
わたしが自分のことを語れば語るほど、
女の人はがっかりします。失望さえします。
でも、いいじゃないの。
普通じゃないのがわたしなんだから。
わたしは風になりたい。
風になってただ吹いていたい。
【属性】
男。大学中退。吃音。統合失調症。精神障害者。希死念慮あり。現実感の喪失。無職。プロテスタントのクリスチャン。ヨギー。スターシード。英検3級。茶髪。HSPとASDの可能性あり。細身筋肉質。
