ヨガはキラキラになるためのもの?

ヨガ星のアシュタンガヨガ日記インド哲学
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 最近、ヨガの師匠と話をした時に、師匠はヨガの先生を養成していたこともあったらしくて、その際に何もヨガをやったことがないのに先生になりたいという人が案外来るらしいということを初めてわたしは知った。何でもヨガの先生のキラキラしたイメージばかりが先行してしまっていて、その人に自身のヨガがないのだと嘆いてさえいた。
 でも、たしかにヨガ女子にはキラキラしている感じの人が多い。なぜなら、ヨガによって心身共に整い、浄化されて美しくなっていくからだ。いわば、ヨガからのギフト。けれど、それを第一というか、キレイになることだけを目的として掲げてしまうのはちょっと違うんじゃないのとわたしは言いたくなる。
 ヨガは本来は、本当の自分とつながるためのものだった。もっとハッキリと言ってしまえば悟りを得るためとか、それに近付いていくためのツールだった。心をきれいにして、自分の中にある曇りを取り除いていく。その結果、真我と呼ばれる本当のわたし、魂へとつながる。本当のわたしを見つける、自分探しのためのツールだったのだ。
 だから、結果として美しくなることはあっても、そのためだけにヨガをやるのはどうなんだろうというのはもっともな疑問だったりする。
 しかし、メンタルの安定だったり、美容のために始めたはずのヨガもある程度やって深まっていくと、その向こう側というか、果ての果ての行き着くところが見えてくるから面白い。
 とガチガチっぽいことを言いながらも、ヨガの目的は人それぞれでもいいなどと矛盾したことを思ったりもする。
 というか、心身が整って美しくなるのはまだまだ序の口。面白くなるのはこれからこれから。ってお前が言うなよ(笑)。

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