最近、ヨガの師匠と話をした時に、師匠はヨガの先生を養成していたこともあったらしくて、その際に何もヨガをやったことがないのに先生になりたいという人が案外来るらしいということを初めてわたしは知った。何でもヨガの先生のキラキラしたイメージばかりが先行してしまっていて、その人に自身のヨガがないのだと嘆いてさえいた。
でも、たしかにヨガ女子にはキラキラしている感じの人が多い。なぜなら、ヨガによって心身共に整い、浄化されて美しくなっていくからだ。いわば、ヨガからのギフト。けれど、それを第一というか、キレイになることだけを目的として掲げてしまうのはちょっと違うんじゃないのとわたしは言いたくなる。
ヨガは本来は、本当の自分とつながるためのものだった。もっとハッキリと言ってしまえば悟りを得るためとか、それに近付いていくためのツールだった。心をきれいにして、自分の中にある曇りを取り除いていく。その結果、真我と呼ばれる本当のわたし、魂へとつながる。本当のわたしを見つける、自分探しのためのツールだったのだ。
だから、結果として美しくなることはあっても、そのためだけにヨガをやるのはどうなんだろうというのはもっともな疑問だったりする。
しかし、メンタルの安定だったり、美容のために始めたはずのヨガもある程度やって深まっていくと、その向こう側というか、果ての果ての行き着くところが見えてくるから面白い。
とガチガチっぽいことを言いながらも、ヨガの目的は人それぞれでもいいなどと矛盾したことを思ったりもする。
というか、心身が整って美しくなるのはまだまだ序の口。面白くなるのはこれからこれから。ってお前が言うなよ(笑)。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。