謎の前で佇む

いろいろエッセイ
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 ほとんど近所付き合いのようなものがない我が家。けれど、最近、近所で家庭菜園をやっている人が野菜をくれた。となると、もらいっぱなしは悪いから何かお返しをとなる。わたしはお得意のスパイスカレーを作って持って行ってあげたのだった。
 そうしたらメチャクチャ感謝された。お返しをしているだけなのに、それも作るのに40分くらいしかかかっていないのに、それはそれはもう「こんなにいい物をいただいてしまって悪いです」と言われるほど有り難く思ってもらえたのだった。
 この出来事から思ったのがわたしの努力の方向性がもしかしたら間違っていたんじゃないか、ということ。
 わたしが心血注いで一生懸命に、1時間半とか、もっとかかって2時間もかけて書き上げたブログの記事がほとんど誰からも感謝されないのに、40分くらいでササっと作ったお料理がものすごく喜ばれて感謝される。何か、文筆じゃなくて、野菜作ったりお料理作ったりした方がいいのではないか。
 要するに、人が求めていないことをしてもそれは徒労に終わるということ。
 でも、こんなわたしの無駄なおしゃべりのような文章であっても喜んでくれている人がいないとも限らない。となれば、地球上にわたし一人しかいなかったら文章なんて書かないの? なぜ文章を書きたいと思うのかは謎で自分でもよく分からない。でも、書いている。それはおそらく書きたいから。方向性を考えつつ、この謎の前で佇む。

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