ロバート・ウィタカー『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』
「お薬を飲んでください。そうしないと再発しますからね」と精神科のお医者さんは言う。看護師さんも言う。ワーカーも言う。そんなわけで統合失調症のわたしはひたすら毎日決められたお薬を飲み続けてきた。来る日も来る日も、ひたすらひたすら。
でも、今回読んだ本によると、その統合失調症お薬を飲まないと再発しますよ説にはちゃんとワケがあるらしい。それはそのよく海外の研究から引用される、偉~い偉~い先生のデータというのが、急に薬をやめた場合であって徐々に減らしていってやめたというわけではなかったらしいのだ。しかも、当たり前だけれど、たくさん薬を飲んでいた人がそれをいっぺんにやめると反動が大きいとのことで、じゃあ少しの量の薬しか飲んでいなくて、しかもそれを徐々に減らしていってやめたらどうなるんですかと質問したくなってくる。その徐々に薬を減らしていってやめた人たちと薬を飲み続けた人たちとの間には再発率にそう違いがなかったということも本には書いてあって、初耳な内容ばかりだった。
今まで素直なわたしは精神科医療についてその正しさを疑ったことがなかった。科学的にしっかりと確立されていて、専門家の偉くて頭のいい先生方がやってくださっているのだから間違いなんてあるわけない。そんな風に思っていた。だから、「お薬飲みましょう」と言われれば素直に飲んできたし、統合失調症というのは脳の中のドーパミンが増えすぎている状態だということも受け入れていた。お薬というものはとにかくいいもので信頼して大丈夫なもので絶対安全。けれど、本を読んで統合失調症のドーパミン仮説も結局のところ仮説でしかなくて、科学的に証明されているわけでもないという至極当たり前のことに気付かされた。万能であるかのように思っていたお薬も副作用はあるし、短期的には効果があって効いても長期的には予後が良くなくて、薬を使わない方がむしろ長い目で見れば良くなっていく(学業や仕事などへ復帰していく人の割合がかなり高い)。って、そんなん何にも聞いたことがなかったんですけど。もしかして、わたしは偽物のトンデモ本をつかまされてる? 異端の中の異端の偏った意見に踊らされてる?、なんて不安にもなったりした。
でも、今さら薬を飲まない方がいい、とか何とか聞いたところでもう飲んでいるんですけど、何年も飲み続けているんですけど、一体どうしろって言うワケよ、と言いたくなってくる。もうね、わたしの脳味噌はお薬仕様に最適化されているわけですよ。だから、お薬がないとやっていけないのですよ、おそらく。
しかしながら、唯一の救いはわたしのお薬が今、非常に少ないこと。20代の後半にはジャラジャラ、ジャラジャラと飲みまくってましたよ。多剤大量処方とはこういうやつよ、と言わんばかりに飲んでいたわけ。で、飲んでいたんだけれど、ある時ふと賢いわたし(笑)は思った。これは体に悪いんじゃないかって。実際これだけの量の薬をこれから先何年も何十年も飲み続けたらヤバイことになるんじゃないかって危機感を持ったのだった。だから、むしろ薬は必要最低限にしよう。でも、これだけ飲んでいるからちゃんと主治医と相談しながら見極めていって減らしていこう。そう思ったのでした。
ありがたかったことに今の主治医はわたしのその多剤のお薬の種類を2、3種類にしてくれた(前のドクターから今の主治医が引き継いだわけです)。そのジャラジャラあったいろんなお薬はすべて寝る前のコントミン(12錠くらい)に置き換えられて、そこからわたしのお薬を減らしていく道のりは始まった。で、「1錠減らしてみたんですけれど、それでも眠れました~」を何度も繰り返して薬の減量に成功。そして、それからも少しずつ薬を主治医と相談しながら減らしていき、今では朝の2錠だけに。すげー減りましたよ。頓服もなしだからね。
この本を読んでいて直感的に思ったことが、自然が一番なのかもなぁってことで、お薬は基本的に不自然なものだから、ここを引っ込めればここが出て、で、またその出たところを引っ込めるとまた別のところが出る、みたいなものなんだろうなってね。だから、いかに自然な方法を用いて気持ちを安定させるか、ということが大事だと思った。
でね、話を戻してこの本に書いてあることが真実だとすると、精神科医も製薬会社もほとんど要らないということになる。もしも、精神科医療のことなど何にも知らない素人が薬を用いずにただ愛情と思いやりのある温かい心で接するだけで患者が治ってしまうのだとしたら、いや、それすら必要なくて放っておくだけで自然に治ってしまうとしたら、そう、その時には要らなくなってしまうのだ。そうなれば商売上がったりになってしまうから、彼らは困る。
一番医者と薬屋が儲かるようにするにはどうしたらいいか。それはとても簡単なこと。まず、病気の診断をゆるくして広げてたくさんの人に治療が必要なんだということにする。そして、効き目が悪くて治らない上に副作用で別のところも悪くする薬を患者に飲ませる(もしも精神科のお薬が魔法みたいなものだったらここまで慢性化させることもないし、一発で治せることだろう)。最後のとどめはその薬がないといられないようにさせる(つまり、やめられない状態にするわけだな。やめると悪化する薬ならなお良し)。そのお薬を飲んだらもうやめられない。あとは死ぬまで飲み続ける。となれば、医者も薬屋も儲かる。儲かること確実。もっと言うなら、たくさんの数と種類の薬を長期間飲み続けさせることができれば完璧で、そうするともう言うことなし。と思いきや、それを子どものまだ小さいうちからさせられればさらにお薬を飲む期間が長くなってさらに儲かる(子どもの抗精神病薬服用には何か心がざわつくものがある。心が痛むというか)。
そもそもというか、思うのだけれど、こころの病気って存在するのだろうか? ただ専門家がラベルを貼っているだけのことで実在しないのでは、という風にも思えてくる。わたしは統合失調症だけれど、わたしと全く同じ統合失調症の人というのは存在しない。同じ統合失調症であっても100人いれば100様のあり方がある。ただそれを便宜上、一つの名称で呼んでいるだけで、実はただ、いろいろな人がいて、というだけの話ではないのか。だから、精神障害、こころの病気もLGBTと同じように虹色のグラデーションなのだと思う。みんな違う色をしている。似ている色というのはあるけれど、それでもみんな一人ひとり違うんだ。そう考えていくと、そもそも一人ひとり違うのに画一的な同じ治療でうまくいくわけなんかない。
これからの時代はきっとオーダーメイドの医療なんだろうなって思う。一人ひとりの違いに合わせた個別的な感じのものになっていくような気がする。だから、画一的に統合失調症ならこの薬を何mg使って、というのも分からないでもないけれど、もっと一人ひとりに合わせたものが求められるようになっていくはず。この本の中でもオープンダイアローグのことが取り上げられていたけれど、そういう風に一人ひとりに寄り添うことが結果的には病を癒すことへとつながっていくんじゃないかって思う。乱暴にこの人は統合失調症だからこうだ、こうであるはずだからこれがベストな治療法だとマニュアルを振りかざすのではなくて、ていねいに寄り添っていってその中で最適解を探っていく。そんな時間がかかって地味でもあり、忍耐力も必要なあり方が遠回りのようで実は近道なんじゃないか。
だから、もしかしたらだけれど、精神科のお薬には問題がありながらもそれが一番いいベストな治療法である人もいるのかもしれないし、いやいや、この本が示しているようにやっぱり自然で薬に頼らない方法が一番な人もいるのかもしれない。ある人には毒であっても、別のまたある人には特効薬となるということもあるかもしれないから、やはり個を見ていくしかないのかもなぁ、ってね。
少なくとも精神疾患の原因というのはまだ分かっていない。あくまでもすべてが仮説でしかない。統合失調症しかり、うつ病しかり、双極性障害もしかり。だからもっと専門家の人たちには自分たちが分かっていないことは分かっていないと言ってほしい。「専門家だけれども分からないんですよ」と専門家らしくないことを言ってほしい。そして、間違えたら「間違えました。すみません」と言ってみんなに謝ってほしい。精神科の薬が短期的にしか効かなく長期的には症状を悪化させたり慢性化させるのだとしたら、「その通りですね」と認めてほしい。でないと、みんなが被害を受けて不幸になる。でも、この人として当たり前の自分が悪いと思った時に謝るということが権威にある人というのは往々にしてできない。なぜならそれを認めてしまうと凄まじい責任が降りかかってくるからだ。今までの損害を全部償えとかそういう話にもなってくるから。
なんて責めてしまいましたけれど、ちゃんと科学的に反論できるのなら偉い先生なんだからはぐらかさずに反論してくださればいい。そして、その討論を実況中継して公開討論という形にしてみんなに見せた上でみんなに最終的には判断してもらえばいい。精神科医療が信用するに値して大事な自分や家族などの大切な人の健康を委ねようと思えるかどうか、と。
この本を読んだら何だか景色が違って見えてきましたよ。あぁ、そういうことだったのねと腑に落ちることがたくさんあったし、収穫は多かった。
で、最後に個人的な、それも本当に個人的な疑問をいくつか。わたしの統合失調症は治るのかなぁ? やっぱりお薬は一生飲み続けることになるのかなぁ? 現代精神医学では完治しないと言われているわたしの病気って治るものなのかなぁ? 治ったら働くことになるのかなぁ? なんてね。最後にぼやいて~、終わり。以上。読んでくださりありがとうございました。サンクス。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。