星のアシュタンガヨガ日記 第6回「自分の軸」

星のアシュタンガヨガ日記
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 アシュタンガヨガの教室へ行き始めてからだいたい今日で4週間あまり。何かなぁ、何ていうかなぁ。とっても濃かったです。週3で通ったのでだいたい12回あまりのマイソールクラスでありましたが、まぁ、何とかこなせた感じ。それにしても、次から次に新しいことを覚えていって、着実にそれをこなす。そんな日々が続いていた。
 アシュタンガヨガというのは習い始めは、太陽礼拝Aから始まって、それに続くポーズを順番に覚えていくものらしい。ポーズにクオリティーを求めるのは一通り覚えてからで、それから質を高めていくらしいのだ。というわけで、太陽礼拝Aから始まり、今日までにスタンディングポーズは一通り覚えました。スタンディングポーズというのは立ってやるポーズのことでそれだけでも10くらいはポーズがあったかと思う。それを一つ一つ覚えてやっと完了なわけなのです。4週間でスタンディングポーズを覚えた、というのは一般的な進み具合から言うとどうなのかは分からないけれど、それでも「よくやりました~!! 頑張りました~!!」という感じなのだ。とりあえず、自分で自分をほめてあげたいような、そんな気持ちでいる。
 それから教室へと通う中で変わってきたことが、何か自分の中に軸のようなものができてきたようなのだ。自分にとって必要なものとそうではないもの。今も周りに多少は流されてしまうものの、流されなくなってきて軸ができてきた。前だったら、新聞に面白そうな興味をそそる本の広告なんかが出ていると、手当たり次第に買っていたものだけれど、そういうこともなくなった。まぁ、そういう意味ではアシュタンガヨガの本なんかを衝動買いしてしまう自分がいるので。ってそれは必要経費、必要経費。
 最近、わたしのブログがアシュタンガヨガ一色になっているせいか、読者が離れていってしまったようで、ここんところアクセス数が一桁なんだ。前だったら600記事も書いていて1日のアクセス数が一桁だなんてあり得ない。やってらんねぇ。もうブログなんてやめてやる、と衝動的な行動に走っていただろうけれど、今では「あはは。笑えるよねぇ」と開き直っておおらかな心でとらえることができるようになった。これも別の意味で、自分に軸ができてきたからなのかもしれない。考えてみれば、別にブログのアクセス数が減ったところで、死ぬわけではない。そのブログの収入で生活しているわけでもないから、死活問題でも何でもない。いわば、わたしのブログは趣味。もちろん、アクセス数が多いと嬉しいことは嬉しいけれど、その嬉しい感情はその一瞬だけで、さらに高い目標が生まれてしまうだけだったりする。それよりは、わたしにとってはヨガをやって自分自身の静けさを取り戻した方が断然有益だし、自分にとって心地良く自分らしくいられるから、そっちの方が好きだ。じゃあ、何でそんな感じなのにブログをやめないかと言えば、成長したいからだ。書くことによって、書き続けていく中で何か自己変容だったり、成長していくことができるんじゃないか。そんな風に思っているからだったりする。
 読者の皆様からしたら、きっとこのアシュタンガヨガの記事なんていうものは面白くないだろう。わたしにとってアシュタンガヨガが面白いものだったとしても、それはとてもマイナーなものであって、決して一般的なものではない。ヨガの中でもさらに選ばれし者(のような気がする)だけがやる難易度の高い高度なヨガ。公民館でおばちゃんたちに囲まれてやったヨガもあれはあれでもちろん楽しかったけれど、もっと真剣にストイックに道を求めていく。それがアシュタンガヨガではないかと思う。侍ですな、侍。まぁ、そういうわけでして、このブログが面白くなかったら無理に読んでくださいとは言いません。他に面白いコンテンツはYouTubeなんかにザクザクあるでしょうから、そちらへ行ってくださいませ。ってまた読者が離れてしまうよ。というか、何か読者をつなぎ止めておこうとか、そういう気持ちがアシュタンガヨガをやるようになってからきれいになくなった。面白いと思ってもらえるなら読んでください。つまらないようでしたら他をご自由にどうぞ。さっぱりしたというか、サバサバしたというか、わたしはあっさり系ブロガーになったのかもしれない。
 執着を手放す。そのためのツールがヨガだとしたらわたしはヨガに執着していることになる。でも、それくらいの執着は多目に見てくださいませ。
 ヨガへの執着。それ以外にも何かあるのだとしたら、食欲に性欲といったところだろうか。やっぱりこの2つって本能なんだよなぁ。
 特に恥ずかしながら、食欲については全然ほどほどに適量にはできていない。あれからもどうしても食べ過ぎてしまう。お腹いっぱいに、いや、それ以上に詰め込んでしまう。「おいおい、全然ヨガ的でも何でもないだろ」みたいなツッコミはもちろん承知の上。でも、そうした食欲に振り回されているその未熟さというか、まだまだなところもわたしなのです。だからこそ、ヨガをやっていき手放そうとすることに意義があるのです。最初から完璧な人間だったらヨガはおろか、勉強だって他のいろいろな自分を高めることだって何も必要ではないですよね。
 性欲についてはやっぱり男の子なんだよね、って思う。しかも、アシュタンガヨガをやるようになって、前にも書いたと思うけれど、体がたくましくなってきたこともあって健康的になりがぜんそういった欲が増してきた。それも「おいおい。ヨガが逆効果になってるよ」とツッコまれることはもう想定内。まぁ、自分の体が筋肉質な、たとえるなら馬のようになってきてますから(馬って筋肉質ですよね)それと同時に性欲が増してくるのは自然の摂理。馬だっておそらくお盛んだろうと思うし。
 自分の軸についてさらに言うなら、わたしは何をやっている時に幸せや充実感を覚えるのか、というのが見えてきたし、分かってきたようなんだ。読書も好きだけれど、それよりはお散歩したりヨガをしたりしている方が楽しい。そして、あとちょっと適度に読書をして料理をして執筆をする。あ、それから少し家庭菜園のこともやって、くらいでわたしの1日は終わっていく。って全然生産的とは言えないな。お金をたくさん稼ぐとか、もっと読書や勉強をたくさんするとか、資格を取ろうとするとか、もっと自分を向上させるつもりはないのか? 今のままでは何にも残らなくて気がついたらおじいさんになっているよ。それもそうですけれど、死んだら何も残らないですよね。もちろん、何か大きなことをした人の場合、数百年くらいはその名とかやった事業なんかが残るかもしれませんけれど、それだって永遠ではないですよね。だから、わたしは今を生きることにしたんです、って言ったら答えていることになるのかな? アリとキリギリスの話じゃないですけど、別にわたしはキリギリスでいいと思っている。と言うよりも、適度にアリとキリギリスくらいでいいと思う。計画を立てて未来に備えることも必要だとは思うけれど、今を楽しむことだって忘れない方がいい。
 わたしにとって自分の軸だと思うことは、今を生きようと決めたこと。それがアシュタンガヨガなんだ。今しかできないかもしれないこと。それがアシュタンガヨガ。50代からのスタートでは厳しいかもしれない。だから、今始めたんだ。
 自分の軸ができ始めてから、他人の言葉、それも賞賛やら批判なんかがあまりわたしに響かなくなった。別にいいじゃん、って思うんだ。以前のわたしだったら自分の軸なんて何もなかったも同然だったから、他人のジャッジに、言葉にそのたびにユラユラと揺らされていた。影響を受けてすぐに揺らいだ。でも、今も揺れはするものの、そのふれ幅というか揺れ方が小さくなってきたようなんだ。今月、精神保健福祉士のWさんと電話でお話させてもらったんだけれど、彼女がわたしがアシュタンガヨガを始めたことをほめてくれたりしても特段あまり嬉しいとは思わなかったんだ。人の賞賛を喜ばないだなんて何様だ、と思う人もいるかもしれないけれど、まぁ、人の賞賛も批判もすべてその人の個人的な見解だったり意見でしかない。その人は「いいな」と思っている。また、別の人は「良くない」と思っている。ただ、それだけのことと言ってしまえばそれだけのことなんだ。だから、自分で自分のやっていることや考えていることや思っていることを「いいね」とできたら別にそうした外側の情報に翻弄される必要なんてそもそもないんだ。わたしがそれでいいと思っているんだから別にそれでいいでしょ、っていう感じなんだ。その人がそれでいいと思っている。その状態でいることに幸せを感じている。それだったらそれでいいじゃん。周りに迷惑をかけたり、自他を傷付けたりしていない人畜無害な限り、別にそれでいいんだ。その人が幸せで、幸せを感じることができているのなら。
 と書いてきましたけれど、今もほめられれば嬉しいですし、批判されたりけなされたりすればいい気分ではないですよ。でも、その影響の受け方というか、揺らされ方が、言うならば一喜一憂ではなくなってきたようなのです。
 もちろん、何事もやっていけば楽しいことばかりではなくて、大変なことも出てくる。それはヨガの場合も然りで、ヨガって修行とか修養の要素が強いなぁと思う時がある。なかなかきついのです。ヘロヘロになる。ヘトヘトにもなる。でも、それでも何か単なる筋トレとは違う、力のようなヨガの不思議な力が働いている。ヨガパワーが満ちているのを感じるんだ。アシュタンガヨガの教室でヨガをやっていると、その練習場に何か神聖な空気が充満していることを感じる。聖なる何か。教会の礼拝中に何度か感じたことがある空気とも似ている何かが。
 今のわたしはアシュタンガヨガのジャンプバックやジャンプスルーができないといって、今朝なんか気持ちが乱れてイラついたりもした。悔しくて悔しくて仕方がなかったんだ。でも、それすらも包み込むヨガの聖なる空気。何かがヨガにはある。いや、きっとある。わたしが変わってきたのも、その聖なる力が作用しているのではないか。
 長い長い4週間だった。とてもとても濃い4週間だった。この間に自分の軸が出来始めてきた。この調子、この調子。一歩一歩、地道にアシュタンガヨガをやっていけたらと思う次第。
 長文になりました。貴重な貴重な読者のあなたへ一言。「いつも読んでくださりありがとうございます」。それではまた。



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