村人Dとして生きる

いろいろエッセイヨガ
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 昔のわたしは作家になってビッグになるんだ。なって有名人となり、たくさんの収入を得て豪勢に暮らすんだ。などと地にも足がついていないことばかりを考えて、ただまだ来ていない輝かしい未来ばかりを夢想していた。たくさんお金があること。売れていて世間から必要とされていること。それが何よりも素晴らしいことだと思っていた。
 でも、今のわたしはそんな風には思わない。別にビッグにならなくてもいいじゃん。そんなのかえって不自由なだけだよ。というか、そもそもわたしがやりたいことをしていくのに、そんなにたくさんのお金が必要なの? まぁ、暮らしていけるだけのお金とあとちょっぴり余裕があるくらいでいいんじゃないかなぁ。
 ヨガをやることで何というか、野心のようなものが消えてきた。消えてしまった、と言うとネガティブな感じがするけれど、そうではなくてお金や社会的地位や名誉に対する憧れだったり執着がなくなってきたのだと言った方がいいだろう。
 ヨガをやっていると、もちろん服は着てやっているのだけれど(あ、当たり前ですよ)、何か裸になっているような感じがしてくる。というのは、ただただ自分自身がいろいろ持っている情報だったり属性だったりをすべてマットの外に脱ぎ捨てて、置いてきて、ただ己の心と肉体だけでその上に立っているように思えてくるからだ。
 マットの上に立つ。ヨガをする。そうすると、あまりにも自分の体が固くて笑いたくなってくる。そして、さらにはいつも決まって特定のポーズが上手にできない。全然ダメで、まさに醜態さえ晒していてカッコ悪いったらありゃしない。でも、そのカッコ悪くて、無様でほとんど初心者同然で、いつまで経ってもあまりヨガが深まっていないような気がしてならない自分自身というのが、紛れもなくこのわたしなのだ。
 そんな自然体というか、裸のような感じがマットの上から下りても不思議なことに続いているような感じが最近してきた。たしかにわたしは男性だし、40歳という年齢だし、精神障害者だし、吃音だし、最終学歴が高卒だし、などといった属性はもちろんあるのだけれど、何だかそれが取っ払われてただここに自分自身がいてここに立っている。そんな感じがしてくるようになったのだ。いわゆる、マットオフなのにマットオンであるかのような感覚。ヨガをやっていないのに、まるで今もやっていないながらもヨガをやっているような。不思議な心地がしてくるのだ。肩の力が抜けてきて自然体になってきたということなのかもしれない。わたしはわたしでどんなに良く見せようとしたって所詮わたしをわたしでないものに見せることはできない。どんなにあがいてもわたしはわたし。カッコ悪いところも、まぁ少しはイケてるところも全部わたし。別の言い方をするなら、何か自分の中心軸のまわりをわたしという肉体が包んでいるといった感じだろうか。うまく表現できなくて申し訳ないのだけれど、わたしの拙い表現力ではそんなところまでしか表現できない。
 だからどんなに良く見せようとしても今のわたしをそのまま見せていくしかない。わたしの属性とか情報ではなくて、本当に裸の自分で勝負しているような、したいような、そんな感じなんだ。
 もし仮にわたしが作家にでもなって成功したとしよう。そうすると、お金をたくさん得ることができるようになったわたしは今までのわたしとは比べ物にならないほど価値が高く尊いことになる。わたしが文章を書けば、それがものすごい金額になって自分の懐へ入ってくる。だから、わたしはすごいのだし、有能なのだし、だから価値があってみんなからちやほやされて、ほめられて、すごいねって言われて、尊敬されて、認められて、愛される。
 でも、まだわたしはそういったものは何も得ていないのだけれど、ツッコミを入れたくなってくる。それは本質なのか?、と。
 というか、その売れっ子流行作家のわたしはただ単に経済的価値があるだけなんじゃないか? 活動することによってお金をたくさん稼ぐことができる。言ってみればお金を集める能力が優れている。だから、価値がある、というただそれだけのこと。
 そういったことではなくて、本質はわたしが生きて死んでいく、ということではないかと思う。そりゃあ、お金をたくさん稼げばおいしい思いはできる。でも、それがすべてなのかと言ってしまえばそれは違う。人生にはもっと大事なことがあるとわたしは思うのだ。
 それは静けさと穏やかさ、そして平和だとわたしは思う。柔和さと言ってもいい。
 最近新聞を読まなくなったのは、読んでも心がかき乱されるだけだということに気が付いたから。新聞ってこの世のワイワイガヤガヤだったり喧騒がところ狭しと紹介されていて、そして、週刊誌の見出しともなればあれは完全に足の引っ張り合いとネガティブな感情がドロドロと渦巻いている。別に新聞読まなくても死ぬことはない。今朝、朝散歩をして見た朝焼けのようなお日様の光がものすごく美しかった。高台の森の公園から見下ろした町並みが光に彩られていて、それはそれは感動的だった。そんな生の充実を感じる時があるなら別に新聞なんて読まなくても、ほぼ政治のことが分からず政治音痴だったりしてもいいんじゃないか。最近のわたしはそう思う。新聞というのは力のある人たちの動向だったり出来事を書き記したものでしかない。本当は今日一日の出来事ともなれば、それを日本全国すべてから集めれば書き記すことなんて到底できなくて、紙の厚さだけでも何十km、何百km、いや、それ以上になるかと思う。3丁目のご主人の太郎さんが亡くなったとか、何とか小学校2年生の花子ちゃんがテストで95点を取った。うっかりケアレスミスで100点を逃したとか、何とか村の犬のポチが昨日から体にノミかダニがいるらしくて体がかゆくて仕方がないとか、蟻さんが不運にも人間に踏まれて息絶えたとか、何とか市の京子さんが今日もワインを嗜んだとか、そういったことをすべて書き記していたらどんなに紙があっても足りない。だから、新聞なんていうのはその膨大な情報の中から一部にもならないほどのわずかな情報を抜き出して、いかにもこれが日本全国の出来事の中でも最も重要なものですよ、と言っているにすぎない。たかが知れていると言えばたかが知れているのだ。
 今の日本に、というか世界においても足りないものは、静けさと穏やかさと平和だと思う。この世界の今の状況は、嫉妬心と貪欲、ならびに怒りなどが支配していて覆っている。
 今のわたしが思うこと、願うことはただただ平和でいたい。心穏やかに静けさを失わないようにしたいのだ。
 こんなことを書くと、無職で生活に困っていない人間の戯言に過ぎないよ、と批判してくる人もいることだろう。でも、その批判しようとすることこそ足の引っ張り合いではないだろうか。本当に満ち足りていて、自分自身が今とても幸せで満足していたら、そんな人のことなんか批判したりはしない。それは言うまでもなくその人が不満を抱えていて苦しかったり大変だったりするからで、わたしから見ると何だか残念な人だったりする。アシュタンガヨガの教室へ行くようになって、そこに来ている人たちの様子を見ていると、本当に強い人というのは他の人のことを批判したりはしないということが分かった。むしろ、批判するのではなく穏やかな空気を放ってまわりをリラックスさせてくれる。話し方も「わたしが、わたしが」ではないし、言うまでもなく「誰々さんが何々していて嫌だよね~」みたいな足の引っ張り合いなんてしない。まるで大きな大木のような、どんな風が吹いても折れないようなどっしりとした安定感がある。だから、わたしはまだまだ青いし、未熟だと彼らを見ていると思う。まだ、少なくなってきたものの「わたしが、わたしが」というところがあるし、メンタルも弱くて多少の風が吹くだけでもユサユサ倒壊寸前に揺さぶられてしまう。
 そんなわけでわたしはおそらくビッグにはならないだろう。売れっ子の作家にもならないだろう。そして、一般大衆の村人Dみたいな感じで生涯を終える。だとしたらそれでいいような気がする。名前も与えられないような村人Dに過ぎなかったとしても、その村人Dはヨガと読書と料理と散歩と執筆をこよなく愛していた。目立った業績は何もなかったけれど、それなりに生きて、それなりに満足して死んでいった。それでいい。それでいいんだ。桃太郎とか浦島太郎とかビッグな主役になれなくても村人Dはその影でちゃんと生きていて、生活していて、自分のやるべきことをやっていた。それでいいいじゃないの。何が不足? そういうわけで今日も村人Dは働きもせず、ヨガをやり、読書をして料理とお散歩をする。それから執筆も。それでいい。それこそが村人Dに与えられたやるべきことであり義務なんだ、と思う。
 そして、村人Dの趣味の文筆活動が死後に高く評価されて多くの人に、まるで宮沢賢治のように(宮沢賢治は生前ほとんど評価されず本もろくに売れなかった)愛されて読み継がれていきましたとさ。めでたし、めでたし。
 なんていう風にならなくても別に構わない。わたしの死と共にわたしの文章も消滅するで一向に構わない(まぁ、読んでもらえるのなら読んでもらえたで嬉しいけれど)。でも、村人Dが村人Dとして生きて死んでいったというそのことだけで十分過ぎるくらい十分だ。不足なし。
 あとちなみに村人Dは生涯独身だったものの、実は隠し子が一人いたらしい。って、ないない。ないですから!! 断じてない!!



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