彼岸花

いろいろエッセイヨガ
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 9月も20日頃になると赤々と彼岸花が咲き始める。小さな川に沿うかのようにそれらは咲いていて、まさにお彼岸の到来を指し示している。と同時に明日は私事ながらわたしの誕生日で、この彼岸花が咲くようになると、「あぁ、誕生日が来たなぁ」としみじみとするのだ。
 あと何回、この彼岸花が咲くのを見られるのだろう、と思うとわたし自身の命の儚さのようなものを感じてしまう。明日でわたしも40歳だから、80まで生きるとすればあと40回。長生きして100まで生きることができたらあと60回。去年、白血病で亡くなった祖母の誕生日が4月1日で晩年、「来年の桜が見られるかなぁ」とよく言っていたように、わたしの場合は彼岸花がそれに当たるのだ。
 少し前までまた例のごとく森の公園へと出掛けていた。天気は薄暗く曇っていた。昨日、わたしは珍しく寝る前にパソコンをやって夜更かししてしまったせいか、どうも生彩に欠いていて、頭の中にこのお天気と同じような黒めのもやもやが垂れ込めていた。だから、調子が今一つであまり良くはない。森の公園へ向かう道中で公園がある木々が見えてきた時に、いつもだったらそんなことはないのにその緑の木々たちに拒絶されているように思えてしまった。まぁ、被害妄想の一種。木は拒絶とかしないから、と頭では分かっていても何だか受け入れてもらえていないような、まるで「来ないでくれ」と言われているような、そんな感じがしていた。でも、わたしは拒絶されているように感じながらも(だからそんなことないってば)、公園へと向かった。公園に着いておいしい空気を吸えばきっとこのネガティブな自分自身のもやも晴れてくるだろう、との希望的観測にすがったのだ。
 昨日、このブログの記事でRYT200というヨガの資格を取るための講習を受けるかどうか迷っている話を書いたかと思う。それが昨日で、その次の日が今日だからわたしはずっとではなかったけれど、歩きながら考えてもいた。公園に着いてから園内にある木々を見ていたら、何だか自分がヨガの資格を取るとか取らないとか大した問題ではないように思えてきた。そうした問題などまるで「何も関知しませんよ」とでも言うかのように、目の前の木々は何十年もここに立ち続けて、公園をお散歩しに来た人たちを眺めていたことだろう。きっと世代も何世代も変わっていて、前同じ木の前を歩いていた人は今はもう故人なのかもしれない、と思うと、時というか時間というものの持つ力のようなものがひしひしと伝わってくる。時間は流れる。そして、時代は変わり、人間の世代は次々と交代されていく。無情、なのか? そうなのかもしれない。時間という冷徹極まる、まさに神の手のようなそんな有無を言わさぬ力がここにはある。10年後、20年後、30年後、時が流れていけば子どもは大人になり、若者は老人になっていき、老人は死に、新しい命が生まれる。それがただひたすら、延々と繰り返されている。この流れに、意味はあるのだろうかなどとしゃしゃり出たくなるのがわたしの悪い癖なんだけれど、それは答えが出ないからひとまず置いておくとして、何だか木を見ていると自分自身の肩に入った無駄な力が消えていく。あ、力が入っていたなって思うし、そんなに近視みたいになって視野狭窄じゃあ前のめりすぎるよね、とも思えてくる。
 同じように彼岸花も毎年生まれて、花を咲かせて、散って、死んでいく。そして、来年もまた同じことを繰り返す。もしかしたらだけれど、こんな感じでわたしも来世で生まれ変わっているのかな? 来世はモンシロチョウなのだろうか。あるいは、また同じ人生が始まって全く同じことをして、こうして一文字も変わらぬ同じ記事を書いている。そんな自由な創造の余地など何もない同じことを実は何万回も繰り返しているだけだったりして。そんなことないだろう。自分が死ねばそれでもう人生は終わりでまた全く同じ人生を寸分違わず繰り返すことなんてないよ、とあなたはおっしゃるかもしれない。でも、分かりませんよ。わたしたちが自由を行使しているように思えていたとしても、実は自由なんてなくて、これは65431回目の人生で、実はすべて神様に操られて同じことをやっているだけだったんです、というのが真相だったという可能性は十分にあり得る。でも、わたしたちは全く同じことをやらされているにも関わらず、自分で自由にやっているように思っているし、まさか何万回も死んでは生まれてを繰り返しているとは思わない。真相はいかに? ってどんなに知ろうとしてもこれは人間には知り得ないことなのかもしれないね。なんてね。
 と考えたりしていたら何だかやる気が急になくなってきた。人間、自分の意思で自由にやれているんだと思えないと、途端にやる気をなくすんだよね。それもそうだ。自分のやっていることが実は自由に選択してやっているように思っていたけれど、そうではなくて誰かに操られて好き放題に操作されていただけだったなんていうのはあんまり、いや、断じて歓迎できるものではないからだ。だから、わたしのやる気を殺がないためにもこういう珍説はとりあえず置いておきましょう。
 さて、わたしの日々の行動のすべてがわたしの自由な意志によって選択されているものだとした上で、じゃあ何をやっていこうかっていう話となる。何かなぁ。何をやってもたかが知れているような気がしてきてるんだよなぁ。しょぼいとかしょうもないとは思わないけれど、たかが知れている。この表現がぴったり来る。何ていうかさぁ、明日誕生日だというのに人生の抱負というか目的みたいなものがないんだよねぇ。だから、何ていうか毎日毎日が思いつきだったり何となくこれをやりたいっていうだけになってしまって、一本の木を大きく育てようとか、何かそういう感じではないんだ。だから、いわばわたしの脳内には中途半端な雑草がたくさん生えているだろう、と思う。何をやっても中途半端でモノになるところまではいかなくて、何かねぇって感じなんだ。でも、無目的なあっちにふらふら、こっちにふらふら的な人生もそれはそれでいい、のかもしれない。なんてな。あっちにふらふら、こっちにふらふらと飛んではその所、その所の花の蜜を吸っているような蝶々。
 ってヨガを中心にしたヨガ的ライフスタイルを送るんじゃないの? いやぁ、それもいいとは思うんですけれど、そこまではまだ覚悟ができていない。ヨガはいい。たしかにいい。でも、人生の主軸にする、中心にするというところまでは行っていないんだ。ということは気分転換的な感じ? 今の状況としてはそれが一番近いかもしれない。だから、趣味? 生き方とかライフスタイルとしてヨガをやっていくんじゃなくて?
 そうだな、そうだな、そうかもしれない。何を自分の人生において主軸にするのか、中心にしていきたいのか、ということなんだ。それがブレていてはっきりとしていない。だから、要するに信念が感じられなくてフラフラしているように見えるわけよ? でも、何かを中心にしなければならないということもないのでは? 少なくともそれは自分自身だったり誰かから「~すべき」、これを中心にした生き方をすべきだとか命令されてやることではない。そうではなくて、自分で人生の中心にしたいものがあればするし、ないならしない。ただそれだけのことなんだ。というか、本当にそれをやりたかったら、中心にしたいほどやりたかったら、誰かから言われるまでもなくやっているよ。何かなぁ~、わたしって何でもかんでも自分に対してこれにすべき的なものにしてしまうんだよな。それで最初はそういう感じでやっていなかったものがだんだん苦しくなってきて次第に距離を置いてやらなくなってしまう、みたいな経過パターンを取ることが多いんだよな。純粋にやりたくてやっていたことが自分に課してすべきことになってしまうと途端に苦しくなってやる気をなくすタイプなんだと思う。
 ヨガは好きだ。あの自分の内側がシーンと静まり返ってまさに静寂になる感じは本当に心が満たされた感じがする。でも、それを毎日1時間ヨガをやるべき、にしてしまうと重圧がかかってなかなか続かなくてやるのがまばらになってしまう。
 ヨガとの付き合い方、関わり方に正解はないと思う。自分が関わりたいと思う程度こそが正解なのだと言える。ヨガとどう付き合っていくのか。軽くDVDを見て一日15分とか20分程度やるで良しとするのか、あるいはRYT200というヨガを教えるために必要な資格を取るくらいまでやって深めるか。そして、それに飽きたらずヨガの道を人生においてどこまでも探求していくのか。このどれが偉くて偉くないということはない。ヨガを人生において主軸にしてメインにしている人たちからはヨガをどこまでも深めていく姿勢は高く評価される。それはキリスト教徒の仲間内でキリスト教神学を勉強したり聖書の原典を読もうと努力することが評価されることと同じこと。でも、この際だからはっきりしておいた方がいいのは、人から尊敬されようとかウケようと思って何かをするというのは少し違うのではないかということで、やりたいからやる。純粋にやりたいからやっている、でいいとわたしは思うし、思いたい。見栄とかプライドとかそんなもののためにあまり気の進まないことをやって、自分の人生の時間を使ってしまうのは感心できることではない。
 そうだ。だから、やりたいことをやる!! 人の目や評価を気にせずにやる!! それが明日、40歳という人生のいわば中間地点を迎えようとしているわたしにとってのこれからの人生の抱負であり方向性だ。彼岸花のような真っ赤な美しい花を咲かせたい。そして、散り、枯れて死ぬ。で、いいんじゃないの? いかんせん人生を簡略化しすぎたかもしれないけれど、人生ってシンプルなものでいいんじゃないかなぁ。彼岸花のように咲き、散る。味ががあっていいねえ、って思いません?



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