ゴキブリ、殺すなかれ?

いろいろエッセイ
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 毎夜、と言ってもそんなに遅い時間ではない夜の9時頃。星家の台所では物音がし始める。何が始まったのかと言えば、ゴキブリさんたちの俳諧ではなくて徘徊が始まったのだ。ゴキブリだって日々の糧を得るために命がけなわけで、食糧を求めて台所をうろつき出すのだ。
 1、2、3、4、5と毎日少なくとも4、5匹はゴキブリを台所に見つけることができてそれはそれは闊歩、闊歩している。
 ゴキブリが1匹いたら100匹いると思えって誰かのありがたい格言にありませんでしたか? ってことは400~500匹はいるってこと? まさかまさか。それはないだろ、と思いつつも少なくとも巣があり数十匹はいそうだ。
 そういうわけで数日前からゴキブリホイホイを置いて捕獲していたのだけれど、それでも一向に減っている感じがしない。
 え? ゴキブリホイホイ? それってゴキブリを殺しているってことですよね?
 そうですけど。
 その行動と命を慈しむヴィーガン(完全菜食主義)のあり方矛盾しません?
 そうなのだ、そうなのだ。わたし自身、このゴキブリホイホイを置くことについてさえも葛藤があったんだ。前もこのブログで書いた通り、わたしは蚊を殺すことについてもためらうほどなんだ。だから、ゴキブリであっても殺していいものなのかどうかためらいがある。
 が、思い切ってゴキブリを殺す、つまり駆除していくことに決めたんだ。ゴキブリだって昆虫で生き物だけれど、実際ゴキブリを増やしてしまうと良くないことが起きる。それは食中毒になるかもしれないということ。ゴキブリはきれいな生き物ではない。ネズミなどと同じく衛生的にはいただけないのだ。
 たしかにわたし自身に厳しい批判を向けようとするのであれば、ゴキブリを殺さなくても、なってせいぜい食中毒になるだけ。そのためだけにゴキブリを、命を奪って殺すなんてダメなんじゃないの、と言えないこともない。が、わたしは別に食中毒になってもいい。けれど、母には食中毒にはなってほしくないんだ(あと本音としてはならずに済むのであればわたしだって食中毒にはなりたくない)。大事な人の健康を守るため、泣く泣く、渋々ゴキブリ駆除へと舵を切った星。
 ゴキブリホイホイでは効果が見られなかったのでコンバットを買ってきました。
「ごめんなさい」「申し訳ない」「許してほしい」などと言葉を並べ立てて自分のやっていることの罪滅ぼしをしようとしているわたし。本当にこれで良かったんだろうか。今となっても確信が持てず良心がチクチク痛んでくる。ゴキブリごときでそんな大げさな、と思われるかもしれない。でも、真面目にわたしはこう思うのだ。
 ゴキブリってね、嫌な、気持ち悪い、害虫、さわりたくないほど嫌い、などの心のフィルター(つまり思い込み)を取り除いて虚心坦懐に見つめてみると案外かわいい顔をしているんだ。もちろん、わたしは触れるほど好きではないんだけれど、それでも頭とか目をつぶさに観察してみると意外とかわいかったりする。ゴキブリがかわいい? 星さん、常軌を逸してるよ。いや、でも生き物ってみんなそれぞれ大方かわいらしさがあるんじゃないんですか? ゴキブリの黒い小さなおめ目が何だかつぶらな瞳に見えてきて……。って共感してもらえないこと確実だけれど、それでもそんなゴキブリの瞳にかわいらしさ、愛しさを見出した星なのです。あ、でもまだ気持ち悪いと思う気持ちはしっかりとありますけどね。触れないですし。
 この前なんてゴキブリが交尾してた。数が多いと交尾だって見れちゃうんです。メスと思われるゴキブリが羽を持ち上げて、その上にオスが軽く乗っかる形で交尾が始まる。で、面白かったというか興味深かったのは、交尾が終わった後の二人(二匹だな)の妙に気まずそうな余韻というか空気。二匹が離れて何だか少しよそよそしいような、やること終わりましたみたいなそんな一瞬の間。それが何かおかしくてちょっと笑ってしまった。
 その他にもヨガをやっている時にゴキブリがブンブン飛びまくって(台所以外にもいたのです)全然集中できなかったり、無空のポーズという最後のリラックスしている時に耳元でガサゴソ歩き回られてこれまた集中を削がれたりとゴキブリさんとは何だかんだ楽しくやっていたのだ。
 それをそれをコンバットで泣く泣く駆除。わたしがヴィーガンだからとか、そういうことの前にゴキブリとそんなに深くはないけれどそれなりに思い出もあって、ゴキブリがいるのが当たり前になっていたから、いなくなるのが、それも殺してしまうということにすごく抵抗を感じるんだ。
「NO MUSIC NO LIFE.」のミュージックにゴキブリが当てはまるほどわたしの人生にゴキブリは欠かせない、なくてはならないほど必要な存在ではない。けれど、何だか今までいた存在がいなくなるのってどこか寂しい気がするんだ。命ってそういうものなのかもしれないなってふと思う。
 コンバットを置いた。これでゴキブリの数は減っていくだろう。ここまでやっているのに、それでもまだモヤモヤし続けている殺すことへのスッキリしない思い。でも、これは仕方ないよね、と自分に言い聞かせるしかない。ゴキブリが何も人間に害をもたらすことがなかったらきっと殺さなかっただろうに。それが残念でたまらない。ゴキブリさん、許してください。
 結局何だかんだ言って自分がかわいい人間のわたし。自分が大切なわたし。モンシロチョウを育てるのにゴキブリを殺す矛盾したわたし。その矛盾は小さいに越したことはない。だから、わたしはヴィーガンになったわけなんだけれど。
 昨日、祝500記事記念の日にわたしはコンバットを置きゴキブリを殺すことを決め、今年の春の最後のモンシロチョウの門出を見送った。矛盾しているのかもしれない。いや、それを言い始めるなら生きていること自体が矛盾の連続みたいなものだ。わたしが生きるためにヴィーガンになった今も植物という生き物を殺し続けている、この矛盾。それで何だか自分が清くなったかのように錯覚している傲慢さ。謙虚でありたい。謙虚で。
 どんな人も泥まみれで死体の上に君臨していて、そうすることによって自らを生きながらえさせている。生きるためには必ず殺めなければならないんだ。植物さん、許してください。あなたの命をいただくことでしかわたしは生きていけないのです。
 自分に必要な糧を大事に大事に感謝して味わいつつ生きていきたい。皆さんもこの飽食の時代に自分のあり方を見つめ直してみてください。ゴキブリ殺すこと、まだスッキリしないな。

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