もう何て言うか嬉しくて仕方がないの。わいわい、やったー、やっほー、きゃっほー、おお感動、涙が出てきそう。
一体何のことかと言うと、先日修理に出したCDアンプが修理を終えて我が家に戻ってきたんだ。おお!! しかし、それにしても仕事が早いっす。本当、早い。送ってからまだ4日しか経ってないよ。でも、早い分にはありがたいことで、早速聴かせていただきましょう。
おお!! あまりの美しい音に狂喜乱舞しております。これだよ、これ。これを長い間ずっと聴きたかったんだ。この音、本当懐かしい。この音を聴きたいとずーっと思っていた。が、途中でもうこれは聴けないのだろうと諦めてさじを投げた。製造メーカーではもう昔のものということで直してもらえないし、もちろんわたしに直せるわけなどなくて、知人に直せる心当たりのある人はいない。となれば、もう諦めるしかないっしょ。諦めた。諦めました。そして、月日が流れた。もう7、8年くらいは流れましたでしょう。
それが、それが、それが、うぅぅぅっぅ。感無量とはまさにこのこと。CDアンプのことで喜びのあまり泣きそうになっております。嬉しい。まるで夢みたい。これは夢か? いやいや、夢じゃない。これは現実。れっきとした現実で、CDアンプを修理に出して修理してもらって、だから聴けるようになったんだ。この当たり前の事実がすごすぎて、あまりにも感動的すぎて実感がわかない。
星さんよぉ、CDアンプごときで大げさなんだよ。オーバーなんだよ。
と言われても、これはオーバーでも誇張でも何でもない。素直な感想なんだ。もう壊れていて絶対に聴けないと思っていた年代ものの機械が息を吹き返したのだ。これは感動物でしょう。あんなにもう諦めていたのが復活してよみがえって、しっかりと音楽を奏でている。奇跡だ。奇跡なんて言葉を使うのはどうかとも自分でも思うけれど、奇跡が、起きた。
修理をしてくれた人たちには本当に感謝の言葉しかない。もう、CDアンプが直って、音楽を再生した瞬間、涙が出るほど嬉しかった。ありがとう、ありがとう。本当にありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。
それにしてもネット社会でなかったら、とてもではないけれど、こうした修理してもらえる所を見つけることができなかった。わたしはネット社会の弊害を日々感じている人間だけれど、ネットも使いようによってはものすごく素晴らしい働きをするんだな。今回、そのことを強く感じた。ネットに自分の時間を持って行かれる。つい、ダラダラ見てしまう。なんていう使い方ではなくて、困りごとを解決するツールとして使う。そういう意味では的確に自分の困っていることをピンポイントで解決できる。今回のCDアンプだって、その修理してくれた所のホームページにはそのアンプの修理実績があることが書かれていて、ここだったらスムーズに修理してもらえるっていう確信があった。もう手慣れていると言ってもいいだろうと思う。同じメーカーの同じ型番の同じ機種を何台も既に修理している。そんなまさに腕利きの修理屋さん。ネットがなかったら、ここにたどり着くことはおそらくできなかった。だから、ネット社会の恩恵を今回は浴びるように受けたんだ。
高校生の時にためたお年玉で買ったCDアンプがまた復活して音楽を聴けるようになった。嬉しいな。もういろいろ聴いちゃうよ。このアンプ、捨てないでとっておいて良かった。捨ててたらこうして日の目を見ることはなかった。スクラップになっていて、もう墓場へと行っていた。
CDアンプ、大切に使いたい。そして、それから流れてくる音楽を存分に楽しんでいきたい。
おっと。もう30分だ。じゃあ、今日もこのへんで。じゃあね。シャローム(*ヘブライ語で「平安がありますように」という意味)。

エッセイスト
1983年生まれ。
静岡県某市出身。
週6でヨガの道場へ通い、練習をしているヨギー。
統合失調症と吃音(きつおん)。
教会を去ったプロテスタントのクリスチャン。
放送大学中退。
ヨガと自分で作るスパイスカレーが好き。
茶髪で細めのちょっときつめの女の人がタイプ。
座右の銘は「Practice and all is coming.」「ま、何とかなる」。