夢のお告げで予告された死ぬ日の前日に書いたとりとめもない駄文

いろいろエッセイ
この記事は約5分で読めます。

 注:この文章は小説でもなければエッセイでもない小説とエッセイの子どもです。つまらなくとも最後まで読了してください。きっと新しい発見は何もありません。時間を無駄にしたくない方はぜひとも読んでください。つまらないことうけあいです。

 死ぬこと。死ぬって言うけれど、「ぬ」の意味を忘れた。だからわたしは死なないのだと強情に言い張る。でも、そんなことをしても人間いつかは死ぬ。だったら、今日死んだ気で生きてみないか。うるさい。わたしは「ぬ」の意味を忘れたからもう死なないの。死ぬのは「ぬ」の意味を忘れてない人たちだけの特権なの。
 あぽーん、な感じで自分の中のつまらないけれど真面目な対話に耳を傾けながら眠りにつくとしよう。
 でも、明日はわたしが死ぬ日。夢のお告げで明日はどうやら死ぬ日らしい。わたしが死ぬ? 死んじゃうの? まだまだお肌だっておっさんになっているものの、ぴちぴちしているのに。こんなにピンピンしているのに。下半身だってこんなにやる気十分でビンビンしているのに。って下ネタとかいらないですよね。
 「ぬ」の意味を忘れたわたしは最強なんだから見ていてください。「死」まで行って棺桶に片足突っ込んでもわたしは「ぬ」を忘れているから死ぬことはない。て死ぬってちゃんと言ってるじゃない? いやはや、忘れちゃおりませんでしたワン。何その犬キャラ、ワンを使えば何でもかわいくなるもんだと思っているところが犬キャラなだけにますますかわいくない。今は猫ブームだから「忘れたニャン」のほうが女子ウケはいいぞ。それにこれからの時代は八木じゃない、山羊の時代だ。一家に一匹山羊を飼ってそのお乳を飲むのがトレンドなんだ。今のナウくてコンスタビレーションハメヌーンメルキオートタルミディーム(ともかく時代の最先端を行く誰にも翻訳不可能な未来語)な人は山羊のお乳をそのまま雌山羊の乳房にしゃぶりついて飲む。それがトレンド。わかったか。まいったか。
 とこんなくだらないことを言っているうちに18分もの時が流れている。時間の浪費は慎まねば。
 肝心要の江戸城本丸はわたしが夢のお告げ通りになるのであれば明日死ぬってこと。ほた~るのひか~り。まど~のゆ~~き~~♪ まだ終わりじゃなーい。それに終わったと決まったわけでもなーい。人間ってね、セミみたいなものね。土の中に長い間、たしか7年でしたかしら。それだけの間いましてよ。成虫になると一週間で死んでしまうんですの。儚いですわよね~。
 などと言葉を紡ぎ出しながら青年Hは感傷にひたっていた。しかし、答えはそこからは出てこない。出てくるのはやりきれないような、それでいて満足しているような複雑な思い。長く生きたいとは思う。しかし、長く生きたところでそれが一体何になるのか。そこにやりきれない本質がある。絶望も希望もそこにはなく、ただ今自分にある時間だけであって、それをただ死ぬまでの間貪っていくだけでしかない。「わたしは長く生きたほうだ」。たしかにそうなのかもしれない。生まれて間もなく死んでいく命がある。ましてや中絶されて生まれることさえもできずに死んでいく命がある。そしてもっと根源的なことを考えていくのなら男性が作り出す精子の中で結実して人となるのは数匹だけだ。命は尊い。
 な・ら・ば、最後はカーニヴァルだ。歌って踊って騒げ。踊り明かせ。ピーヒャラピーヒャラ、パラピラピー、ドンドコドンドン、ドンドン。それが今のナウくてコンスタビレーションハメヌーンメルキオートタルミディームなイケてる男の睾丸さ。睾丸を死に備えて空っぽにするんだ。もう痛くなるくらいまで発射の発射のぽっぽっぽ~。いっか~ん、またしても下ネタのオンパレードやねん。やっぱりマタンキの話はいかんねん。品位がないねん。アホやなぁ。
 ここまで読み進められ方は100人中5人くらいでありましょう。ただ、奇抜を狙ったウケ狙いの、そう、まるで「ぬ」を忘れた人たち。「ぬ」を忘れた野郎ども。出てきやがれ。死ぬことを忘れた野郎ども表に出てこい。
 やっぱり人間、発射によって誕生するように、最後には発射しながら、し終えて死んでいくものなのかなぁ。あのね、最近出してないからたまってるの。いっぱいいっぱ~いたまっているわけよ。お袋さんの中にはジュニアがうじゃうじゃスタンバイしているわけ。ってまた下ネタかよ。欧米かよ、よりタチが悪いよ。
 人間いつ死ぬか分からん。だから今を精一杯楽しく生きたほうがいい。ってそれ、明日死ぬかもしれない人に言うのは遅すぎません? 青年Hは途方に暮れるのだった。もうこうなったら空っぽになるまで出しまくるぞ。
 それで本当にいいの?
 それで満足なの?
 そんな最後で満足なの?
 それで満たされるの?
 良くないかもしれないけれどそれが一番わたしが今求めていることなの。余計な口出しをしないでくれよ。おっと。もうあと9分しか時間がない。ってそのタイマーみたいなの何? 時間制限?
 自分が死ぬかもしれない時に男がすることは射精なのかもしれないと思わずにはいられない。最後の最後で本能的なものが動き出す。本能が疼く。それがリアルな人間なのかもしれない。と同時にその最後の時というのは、その人が本当に大事に大切にしているものが露骨なまでに現れる。だから、最後の最後で思う存分射精をしたいと思うのであれば、結局その人の人生には射精に優るものがなかったということになるのだ。
 いや、何もなかったわけじゃない。いろいろあったよ。でも最後には射精をしたいわけさ。
 射精、射精って下ネタもたいがいにしなさい。
 いや、これはのっぴきならない真面目な話であって、最後に一発やってとか、とにもかくにも何らかの方法で射精して人生をしめたいということなんだろうと思う。
 なんか、結論っぽくなっとる~。タイマー、9、8、7、6、5、4、3、2、1、ピピピピピピ。
 わたしの人生良かったな。悪くなかった。まだやりたいことはあるけれど、まぁ、いいや。射精してお布団に入って明日死なないことを祈っていよう。神様、どうか生きながらえさせてください。ダメですか。最後の最後の神頼み的な神頼み。明日死なないといいな。

PAGE TOP