何を書こう。わたしの少ない引き出しは大抵出してしまったようで書くことがない。となれば、書くことがないことを書こう、てな話になってくるわけだけれど、そんなことしたらこのブログの尊い読者の皆々様に失礼ではないか。
あぁ、星はもうストックが底をついたらしいよ。毎日書いていたらもうネタに尽きたらしい。だから、ネタがないということをネタにしていくらしい。これからはさ。
と考えていたら万策尽きていたようで、一つネタがありましたよ、旦那。何について書きたいかと言うと、キャベツについて。庭のプランターに植えてあるキャベツについて語りたいと思う。
キャベツ。今期の、というか今回のキャベツは前途多難だった。たしかあれは9月頃、わたしはスーパーの園芸コーナーでキャベツの苗を買ってきて、それを植えたんだ(その時、かたつむりが1匹その苗についていてサプライズだったことは以前書いたかと思う)。そうしたら、バッタの来襲がありましてね。空を覆い尽くすようなバッタの群が星家の庭にやってきて、キャベツを跡形も残さず食い尽くしていきましたとさ、っていうのは嘘で(嘘なんかいっ!)、2、3匹のバッタがキャベツの周りにたむろするようになって、着実にそして確実に葉っぱを食べていったんだ。それでその植えたばかりのキャベツの苗の葉っぱがボロボロになって、これは来春の星さんちの春のモンシロチョウ祭りは中止になるかもしれない、って危惧していたくらいだったんだ。それが只今、11月も下旬となりましたところ、それから被害は少しずつ減っていき(何でかね? バッタも寒くなったから冬眠したのかな?)、無事にキャベツは大きく健やかに成長していて、おそらくイナゴとかバッタが雲を覆い尽くすような大群で来ない限り大丈夫だろうという目途が立ったのです。すごく元気にキャベツさん育ってきていますよ。もうこれで一安心。
あ、バッタが減った理由ってもしかしたらだけれど、今思い出したことなんだけれど、カマキリかな、っていう気がするんだ。もう一ヶ月くらい前になるかな。その日、日向ぼっこをしに庭へ出てみたら、キャベツのところにバッタが二匹いて(おんぶしていたね)おだやかに時を過ごしていたんだ。と、その傍にカマキリがいたぁ!! バッタの背後からのっそりのっそりと確実に近付いていくんだ。久しぶりに見たカマキリに興奮しながら、その様子を眺めていると、また一歩、また一歩とバッタに近付いていくカマキリ。これは捕まえて食べるためだっていうのはもう言うまでもなくて、その様子をひたすら見守っているわたしたち(母もいた)。音も立てずにゆらりゆらりと迫るカマキリ。そして、シュパッという音もガバッという音も何も立てることなく、目にも止まらぬ早さでその2匹のバッタの上にカマキリは覆い被さったんだ。まさに無駄な動きがない。動きが洗練されすぎていて、理にかないすぎていて、実に地味だったんだ。本当の早業っていうのは地味で華やかさがないんだ。別にカマキリは美しく捕獲することで「エレガント捕獲賞」みたいなものを受賞することを目的としているわけでもないから、ただ無駄な余計なジタバタした動きもなく次の瞬間には獲物であるバッタに覆い被さる。この動き、旧約聖書にもある通り、カマキリには進化する前の先祖も何もなくて直接カマキリが創造されたのか、あるいはアメーバなんかからカマキリへと進化してきたのか詳細は分からない。けれど、この動きは何千年、何万年とカマキリの親から子へと受け継がれてきた遺伝子なんだろうなって思うとすごく納得できるような気がした。星のオムレツ作りのように始めて数日とかそんなものではなくて、その捕獲の本能というかそういったものが連綿と受け継がれてきていて、どうしてもカマキリが生きていくのに必要なスキルとして今に伝わるものなのだ。
とまぁ、もしかしたらカマキリさんの暗躍のおかげでキャベツが生き返ったのかもしれないなぁって思うわけなんだ。と思いきや、鳥さんがバッタを食べていたりして。と、想像はふくらんでいくんだけれど、とにかく来春のモンシロチョウ祭り開幕できそうで良かった。自然ってうまくできているんですねぇという感想を持つに至るな、これは。
それにしても調子が今一つの時にはお日様の光を浴びるに限りますな。プランターのキャベツの周りにはお花も少しばかり咲いていて、ミツバチやら虫さんたちやらが飛び回っている。
そして春には、モンシロチョウの季節となり、また今年もタッパーから多くのモンシロチョウたちが感動的に巣立っていくことでしょう。また、その様子を細々とご報告できたらと思っています。
明日は何を書こう、って聖書にある通り「思い悩むな」だったな。明日には明日また書くべきことが与えられる。だから、大丈夫だと信じている。神様、わたしにブログに書くネタを与えたまえ。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。