今日は日曜日。というわけで、恒例の礼拝の説教の感想を。と行きたいところだけれど(「と」が多いな)、実は説教中に睡魔が襲ってきて眠ってしまい、ほとんど聞けなかったんだ、などというのは嘘で、最初から最後まで星さん、それは熱心に牧師先生から一瞬たりともほぼ視線を逸らさないで熱心に聞いておりました。が、何やら今日の説教難しくてほぼ理解できなかったんです。うむ、だから感想を書こうにも書けないんだな、これが。「サクサク○リンキー新発売、ジャン!!」というのは冗談だけど、書けない~。どうしよう。困ったな。そうだな、説教の感想を書けないのなら、教会へ行ってきてほとばしり出た星の思考を少しばかりご開陳することにしようか。うん、ま、それなら教会の感想だし。説教の感想ではないけどね。ただ、毎週もしかしたらこの調子になってしまうんじゃないか、と思うと少し先行きが不安になってくるものの、ま、いいでしょ。というわけで行ってみよー。
思ったこと。人のふり見てわがふり直せ、って言うけど、まさにそのことについて考えさせられたんだ。ある人がわたしに淡泊な態度を取るんだ。取ってくるんだ。別の人にはフレンドリーにこれでもか、これでもかってなくらいに話しかけてにこやかに話をするのに、わたしにはまったくもってしてノータッチ。朝のあいさつ「おはようございます」は普通に返してくれるけれど、それ以上の会話は何もなし。わたしも距離を置かれてるのが分かっているから、話しかけるタイミングが取れずじまいで結局、今日も何も会話はしなかった。こんな調子でもう2、3年になる。もちろん、相手には相手の好みがあって、わたしのことを「ちょっとなぁ~」って思っているのかもしれない。でも、その淡泊な態度がわたしは寂しいんだ。むしろ、わたしはその人と仲良くなりたい。くだらない話だってお互いしたいし、信仰の話だってお互いできたらなって思ってるくらいなんだ。でも、とてもそんなことができるようになれる雰囲気ではないし、わたしとその人との間には高くて厚い壁ができあがっている。
まぁ、言われるまでもなく分かってはいる。つまり、わたしとはその人はできることなら関わりたくないと思っているんだ。わたしが以前、その人にアプローチした時にもその人はどこか冷淡で嬉しくなさそうだった。要するに、仲良くなりたくないってことなんだろうなと推察するしかない。
ここまで書いてきて、これはわたしの一方的な片思いだということが見えてきた(恋愛の片思いではないやつね)。一方が仲良くなりたいと思っても、その思いが受け入れられずはねつけられることだってあるんだ。はねつけられるまではいってないけれど、まぁ、向こうはそういう関わり方をしたいわけなんだろうな。それにもしかしたらだけど、過去に何か深い傷を負っていて、それがまだ癒えていないのかもしれない。わたしがその人の心の古傷をなでつけている可能性だってあるかもしれないし、それは分からない。
クリスチャンであろうと、所詮はただの普通の人。弱さがあり、欠けがあり、もろさがあり、とてもではないけれどイエスさまの精神なんてこれっぽっちも体現できていない。そう、それはわたしも同じ。だから、人のふり見てわがふり直せ、なのだ。相手にこうしてほしいとか、こうあるべきだとか言いながら、その言っているわたし自身が何にもできちゃいない。イエスさまが説かれた隣人愛の精神にのっとるのであれば、その人は失格だろう。でも、わたしだってそれに負けず劣らず失格なのだ。失格者同士、不適格者同士。だからこそ、イエスさまに従っていくんだ。隣人愛を完全に実践できているのなら、もう教会になんて行く必要なんかなくて、自分が教祖さまにでもなって新しい宗教でも始めればいいんだから、ね。
わたしはおそらく、その人とは親しくなれないことだろう。この他人行儀な距離感のまま、お互いこれからもやっていくことだろう。でも、わたしはその人の幸福を神様に祈り求めたいと思う。そして、陰ながらその人のことを遠くから見守っていきたい。
その人からしたら、今くらいの距離感がわたしとの間ではちょうどいいのかもしれない。だから、それを強引に縮めようなどと強攻策に出ることなく、おだやかに平和な態度でいけたらと思う。わたしはその人と親しくなりたい。でも、その人はそれを望んでいない。だったら、相手のことを尊重するには今の関係性のまま行くのがいいんじゃないか。無理に自分の希望を押し通すばかりがすべてではないのだ。で、もしも何かの機会にむこうの気持ちが変えられて、わたしとの距離が縮んだら、それはそれで「わたしの願いをかなえてくださりありがとうございます」と神様に感謝する。でも、それがかなえられなかったとしても、それが神様のみこころなのだろうから、それはそれでよしとしたいと思う。
人間に成熟した態度があるとしたら、それは何から何まで全部自分の思い通りにすることではないことは明らかだ。それは未成熟な小さな子どものわがままな態度だ。そこを一歩こらえる。こらえて、ひく。押すばかりではなくて、ひくところで思慮分別を発揮する。それが成熟であり、大人の態度だと思う。この記事を書くまでのわたしは今のわたしよりも青かった。何から何まで全部自分の思い通りにしようとしていた。そして、それがかなわないことに腹さえ立てていた。でも、こらえるんだ。ひくんだ。大人になるんだ。
星の精神年齢がすこし上がって大人になりました? 子どもっぽさはまだまだ抜けないけれど、素敵なおじさまクリスチャン目指してやっていけたらと思う。
って今週、こんな感じでいい?
星がおじさまクリスチャン目指してるんだってさ。ま、あたたかい眼差しで見守っていてくだされ。乞うご期待。
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1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。