わたしは今まで、「今」を生きていたのだろうか。生きてきたのだろうか。そう自分に問いかけると、未来のことばかり考えて生きてきたような気がする、という答えが返ってくる。
今は未来のために捧げられる、未来のためのもの。そんな意識でこれまでやってきた。けれど、ヨガを始めるようになり東洋的な考え方にも親しむようになってきて、それってどうなんだろうと疑問に思い始めた。今を犠牲にする。そして、より良い未来を作っていく。この西洋的な考え方にもそれはそれで一理あるものの、何だかそれだといつまで経っても「今」を味わうことができない。いつまで経っても、簡単に言うなら幸福感を感じることができないのである。どこまで行っても先送りされ続ける幸せ。
幸せは今にはない。先にあるんだ。いつまでやっても、あるのは先、先、先。未来、未来、未来。輝かしい未来って一体いつ訪れるのかしら。これって将来のためにあてもなく貯金し続けるのに似てません? わたしの日々の学びだってより良く生きるための手段みたいなものであるはずなのに、とにかく未来、未来のためにやるんだという感じになってしまっている。
今、お金の話、あてもなくする貯金のことを挙げたけれど、お金って使うためにあるんだよね。自分が死んでしまったら大量の札束だって意味なくなるよ(それは残された人にとっては最高のプレゼントになるけれど)。お金は天国へは持っていけない。だったら、そのお金を生きている間に有効的に使う。お金は自分がやりたいことをやるための道具のような気がするんだ。
今。わたしたちにあるのは今だけだ。過去は積みあがっているけれど、そして未来がたしかにあるようだけれど、今しかない。もちろん、だからといって放蕩三昧で享楽的に生きよと言いたいわけではない。ただ、今しかわたしたちは生きることができないということを言いたいのだ。
それにしてもヨガをやっている時は本当に今に集中できている。自分の体の感覚と呼吸に意識をひたすら集中している。ヨガをやっている時、わたしは特に今を生きることができているように感じる。そして、デコボコ凹凸が出来始めていたわたしの心がヨガによってスーっと真っ平らになる。整えられて、まっすぐになり、また毎日やっていこうと思える。
今に集中できていない時には得てして、怖れの感情に支配されがちになる。過去の嫌な出来事や苦い経験が思い出されて圧倒されたり、まだやって来ていない未来がとてつもなく暗くて希望が何もないかのように思えてくる。でも、ヨガをやるなりして「今」に集中し始めるとそうした「今」以外のものが意識に上らなくなってくるんだ。不思議なもので過去と未来について思い悩まなくなってくる。今、今、今、と今に集中していくと、「まぁ、ぼちぼちやっていこうか。今しかないんだからできることをやっていけばいいんだ」と大らかな気持ちになることができる。思うに、「今」に集中しながら、自分の呼吸や体の感覚にヨガなどで集中しながら、同時に不安になることってできないか、できたとしても相当難しいんじゃないかな。
わたしは今、愛機POMERAの前に座りながら、チャカチャカとブログの記事を書いている。この今の感覚に耳をすますかのように体の感覚に意識を向けると、すごく充実している時間だなと思う。だから、自分の体の感覚と呼吸に意識を向けることはとても大事なことなんだ。
今がある。そして、今しかない。ヨガで培い始めた、この「今」生きているという感覚を大切にしながら毎日を送っていきたいと思う。
わたしは幸せだ。もう少しお金があったらとか、素敵なパートナーがいたらとか、もう少しいい暮らしができたらとか思わないと言ったら嘘になるけれど、それでもわたしは幸せだ。今、とても幸せだ。ヨガを始めて自分の幸せセンサーの感度、言うならば「今」への感度が上がってきたのだと思う。不平不満や愚痴や願望を言い出したらキリがないけれど、今わたしが持っているもの、つまり神様から与えていただいているものだけでも十分すぎるほどなのだ。
とうとい今この時をしっかりと味わっていけたらと思う。今、ここを生きる。合掌、そしてアーメン。
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1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。