ぐだぐだ不調日記第8弾「パソコンで鬼に金棒」

父と子と聖霊のみ名によって。みんなが迷うとき……、とFEBCのS牧師の言葉がふと頭によぎる。が、その次の瞬間には動きの速い蚊が飛んできて、わたしのみずみずしいおっさんの血を拝借しようとする。さかんに応戦するわたし。バチン!! あっけなく蚊はつぶれてグシャグシャになってしまう。もしも、輪廻があって自分が蚊になって生まれ変わったらと思うと、こういう終わり方はしたくないものだなと思う。同じようにつぶされるのなら、若い女の子の血を少しばかり吸って、それからバチンとやられたいものだ、とおっさんに退治されてしまったあの蚊のことを思いながらふとノスタルジーにひたる。でも、つぶされるのは嫌だな。できることなら蚊を飼育しているという変わり者の美少女が、「ご飯だよ~」って笑いながら腕を差し出してくれたら最高なんだが。でも、その女の子の腕は毎日蚊に刺され続けているからボコボコで。ってそんな女の子、美少女でも嫌だな。星さん、この世の生を終えたら、蚊にはなりたくないものです。
とぐだぐだ不調日記第7弾の感動のフィナーレいかがでしたでしょうか? もうこれは盛り上がりましたね。最高でしたね。って何がじゃい。もっともであります。最高もくそもなくて、ただ蚊が云々と申しただけでフィナーレでも何でもない。でも、いいこと書けたと思うんだ。うーん、文体がぐちゃぐちゃだけども、ぐちゃぐちゃなのが星さん流。
では、第8弾参りましょう。ここからが真骨頂。そして見せ場。で、すぐ終わるのが星さん流なんて、過去にもそんな流れありましたな。つまり、流れ星の星なのです。ってくど。
では、今日を振り返ってみると、スクリーンタイム長いですね。はい、長いです。朝、iPad。11時頃、パソコン。そして、たしか午後3時頃ブログ更新(これはすぐやめたけど)。何と1日3回もパソコンやっとる~。いかん、いかん。1日15分にする。多くても30分にするっていう誓いの言葉はどうなったわけさ。実はわたしの右手には鬼が封印されていまして、この誓いの言葉(呪文?)を唱えると封印が解かれてしまうのです。ですから、パソコンなどのスクリーンタイムを30分以内にするというのは実質無理なのであります。しかして、その封印されています鬼があまりにもセクシーな美女でありまして、もっぱら封印を解かずにはいられないのであります。さらにはその美女鬼がわたしとの間に子作りをしたいとさかんに誘惑してくるのであります。小生といたしましては、これはたとえ相手が鬼であろうとも拒むわけにはいかず、気が付くと30分などという制限時間はとうの間に過ぎておりまして、必死でその美女鬼を右手に戻して封印するという難行をするのでありました。
美女鬼との戯れに忙しい(そんなわけないだろ!)星は結局パソコンなどをやり過ぎてしまう。いかん、いかんと思いながらもつい気が付くとやってしまっている。やはり右手に封印してある鬼は魅力的なので(だから、そんなわけないだろ!)やり過ぎてしまうんだよなぁ。
「そんなわけないだろ!」とまるで架空のお話をしているかのようだけれど、パソコンってわたしを誘惑する美女鬼のような存在だと思う。これがくせ者なんだ。だって、ドーパミンと関係しているんだからな。人間の行動はドーパミンが増えそうなことを期待してやるもんなんだ。パソコンとかタブレット端末とかのいわゆるスクリーン(画面)は見るとそれだけでドーパミンが出るらしくて、それに中に入っているソフトとかはやっぱりドーパミンが出るようにしっかり巧妙に設計されているらしいんだ。どうしたら1秒でも多くスクリーンタイムをしてもらえるか。そんな思惑で設計されているんだから、依存しやすいし、むしろそれらの開発者はそうなることを望んでいる。まぁ、そういうわけだから、パソコンは右手でやるものだし、鬼が封印されているというのも満更嘘ではないよね。
何かここまで書いてきて、急に疲れが出てきた。ま、第7弾の感動のフィナーレは想像通りしょぼかったけれど、フルキャスト総勢1名(星さん1名)でお送りできて本当に良かった(何が良かったんじゃい)。疲れが、出てきてさぁ大変。ドジョウが出てきてこんにちは。坊ちゃん一緒に遊びましょ。星さんころころ星ころこ~♪ お池にはまってさぁ大変。ドジョウが出てきてこんにちは。坊ちゃん一緒に遊びましょ。星さんころころ……♪ ではドジョウが出てきたところなので、終わりたいと思う。じ・つ・は、感動のフィナーレとは、第7弾の感動のフィナーレとはこのドジョウさんだったのです。ドジョウ、つまり土壌。要するに大地。うん、つながった。うまい具合につながったぞ。星さんと大地が出てきたところで、星大地と一件落着な按配なのだ。オールキャストの意味もはっきりしたでしょ? わからない? それは神秘の領域なのさ。って強引に持ってきてるだけじゃん。こじつけもいい加減にして。まったく、もう。
鬼に金棒?(あの美女鬼が金棒手に入れたらまさに鬼に金棒だな。)って星さん最後に下ネタ? 星の金棒は大事な人のために温存しておきます。うーん、ぐだぐだしておりますな。やっぱ、こうでなくっちゃ(結局下ネタで終わるわけね)。あ、ウルトラセブンに出てくるボーグ星人ってエロいよね。あれはヤバい。まさに金棒(結局下ネタ)。

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なぜわたしのブログはアクセス数が伸びないのか

 ここ数日、ブログの記事を書かない日が目立つようになりつつある。何ていうか、ブログのアクセス数を見るとやる気がなくなるのだ。こんなに頑張って心血注いで(血は流していないけれど頑張ってはいる)いるのに一向にアクセス数は伸びず、ほとんど書いた過去の記事は死んでいるようなもので、ほぼ誰からも顧みられることはなく電脳空間でただただ漂っている。
 わたしの記事は価値がないのだろうか。誰もわたしの文章なんて読みたくなくて、わたしに興味なんてそもそもなくて、無駄に頑張ってるな、程度にしか思われていないのだろうか。必要とされていない。わたしは必要とされていないんだ、という思いが日に日に強くなってくる。もっと必要とされたい。必要とされて、星さんいつも楽しみに読んでいます、とか今度はこんな記事が読みたいです、とか言われてみたい。しかし、そんな励まされるコメントがブログに寄せられることは皆無に等しい。ただただわたしがわたしの思いを発散(?)し続けているだけで、投げたボールはブラックホールに吸い込まれて終わりみたいな感じになってるんだな。もちろん反響がまったくないとは言わない。多少はあった。けれど、そうしたものはわたしへの批判であり、攻撃であり、とてもではないが心安まるものではなかった。あとは、わたしは日本語で書いているのに、全文英語の怪しげな宣伝がコメントされてくるくらい。
 そんな状況でやる気を維持できるわけがなく、賞賛やおほめの言葉が少しはほしいとわたしは思ってしまうのだった。(以前、たった一人だけ、わたしの記事を絶賛してこのブログにリンクを張ってくれた人がいたけれど、今その人どうしてるかなぁ)
 そういうわけで、多くの人にこのブログを読んでもらうためにも、なぜアクセス数が伸びないのか考えてみることにしようと思う。そうすれば、その理由をつぶして改善していけば、きっとアクセス数は伸びていき多くの人に読んでもらえるに違いない。
 理由かぁ。思い当たることが多すぎる。では一つずつ挙げていこう。

 ①文章が長いから。
 たしかにこれはあると思う。今の人は長文を嫌う傾向がある。もうズラズラ書いてあるだけで、戻るボタン押すよね。役に立つかどうか、という観点からしか、情報収集という観点からしかブログを訪れないから、役に立たないと判断されただけで撤収。別のページへGO!!

 ②文章が面白くないから。
 だいたい昨今では真面目な文章なんて流行らない。自分の自由な時間で堅苦しい文章を読もうなんて思う奇特な人はそうおりませんよ。それにわたしの文章がとにかく面白くないのだろう。これを言われてはおしまいだけれど、本当のことだろうから仕方がない。

 ③文章が役に立たないから。
 星の文章は人間を支えている思想的なものだから、すぐに役には立たない。人間をいわば土台から根っこから支えるようなことをおもに書いているのだ。だから、こういうトラブルが起こった時にはどうしたらいいのか、みたいな即効性や実用性とは遠い。役に立たない。たしかにその通りだ。

 ④わたしに肩書きがないから。
 もしわたしが東大生だとか東大卒だとか、大学教授だという肩書きを使えたら、きっとアクセス数は何倍にも増えることだろう。あるいは、何かユニークな職業についていたり、お金持ちだったり、社会的な地位が高ければ、多くの人が関心を持ってくれることだろう。しかし、わたしには肩書きがない。つまり、ハクがないのだ。だから、たとえどんなにわたしが素晴らしい記事を書けていたとしても、いいことを言えていたとしても、まず読もうと思ってもらうことさえ難しいのだ。みんな当たり前だけれど、三流のものには興味がない。選ばれるのは一流のものだけなんじゃないかっていう厳然たる事実がある。

 ⑤キリスト教エッセイがメインのブログだから。
 エッセイでさえも読まれない時代だというのに、さらにそれに加えて自分がクリスチャンだと名乗って、キリスト教エッセイを書いている、ということでは興味を持ってもらえなくても仕方がないのかもしれない。今は戦後のキリスト教ブームなどではないのだ。だから、少ない読者をさらにキリスト教という枠で限定してしまっているから人気が出ないのである。

 ⑥文章に専門性や独創性が感じられないから。
 人は文章を読もうと思うときには、それから何かを得られるのではないかと期待して読むものだと思う。何も得るものがないのに、つまりその文章から利益を受けないのに読もうなんて普通思わないのだ。読んでもらうためには、専門性があったり、何かの分野で特化していたり、ユニークであることが必要なんじゃないか。

 つまり、星の文章に、言うならば星という人物に魅力が足りないのだ。一番手っ取り早いのはハクをつけることなのかもしれない。何者でもない今のわたしから努力して、何者かになってその立場から面白い文章を提供する。それが最短ルートなのではないか。けれど、何かに秀でるということはやさしいことではない。お金もかかるし、時間もかかるし、労力もかかる。となると、今のまま冴えない何者でもないまま書き続けるしかないのか。
 わたしが人よりも優れているとか、抜きん出ていることって何だろう。精神疾患の統合失調症であること? 言語障害の吃音であること? キリスト教徒であること? まぁ、それくらいだろう。それらをもっと効果的に生かしていくためには、どうすればいいのかな? そこに活路があるはずなのに、どうすればいいのか見当がつかない。そもそも、このブログ、何のためにやっているのだろう? 自分の考えを公に発表するためなの? それとも文章修行としてやってるの? はたまた収益を得るため? そうか。目的がはっきりしてないんだな。だから、ブレるんだ。全体に一貫性がなくて、行き当たりばったりになってるんだ。
 目的。何かをやることには必ず目的がある。だから、このブログにだってちゃんと目的があったはずなのだ。あるはずなのだ。それを思い出す。あるいは思い出せないのなら、新たに目的をつくる。それをやらないと目的にはいつまで経ってもたどりつかないよ。というか、目的がぼんやりしていては、いつまで経っても目的地にはたどり着かない。だから、今わたしは迷路の中に入ってしまっているんだな。要するに迷子なのだ。
 このブログの目的、しっかりと腰を据えて考えてみます。そして、自分ではっきりとそうだと思える目的を立てることができたら、それに向かってしかるべき文章を書いていこうと思います(って何で敬語?)。この記事も最後になろうかというところで、一番大切な基本の「き」を思い出すことができて書いてきた甲斐があった。目的をはっきりさせたいなぁ。

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