生活を整えることって大事

キリスト教エッセイ
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 今朝は4時半に起きるつもりが、3時半に目が覚めた。もう一寝入りしようか、どうしようか。おそらくここで二度寝をしてしまうと、目覚めが悪くなることだろう。そういうわけで、少しばかり眠かったけれど起きることにした。
 早起きはいい。早起き、最高。早起きって素晴らしい、と何度言っても足りない。朝の時間を持てるのがすごく贅沢で、まさにプレミアタイム。特別な時間であり、優雅なひととき。わたしはこの朝の時間が好きだ。
 早起きしたわたしは、アーユルヴェーダの生活に従って、舌磨き、白湯飲み、オイルうがい、オイルマッサージ、シャワーと順調にこなしていく。ここんところ、朝起きれなかったわたしからしてみれば、何て理想通りにできているのだろう、と微笑みたくなってくる。
 そして、ここからが真骨頂。シャワーの後はヨガなのだ。ヨガのDVDを見て真似をしながらいろいろなポーズをとっていく。HIKARUさんの体がかたい人のためのヨガも今日から2週目に突入だ。このDVD付きの本は4週間で一通りやることを目標としていて、ぼちぼち続けてこれたわたしは晴れて2週目なのである。が、1週目とはうって変わって、急にきつくなる~。体がカチコチのわたしには厳しいポーズの連続で、体が割合大きな声で悲鳴を上げております。一方、DVDの中で手本を見せるHIKARU先生は何としなやかなのでしょう。あぁ、わたしも続けていけば、あそこまではできるようになれないとしても、近付いていけるのかな。と、それにしてもヨガが2週目からきつい。1週目が本当にウォーミングアップだったんだなって痛感してる星なのだ。でも、それだけ面白くなってくるのもこれからなんだ。無理をしすぎないように、自分の体の声を聞きながら少なくともヨガで怪我をすることがないようにしたい。本には「痛気持ちいいくらいがベスト」と書いてあったな。激痛が走るヨガってのはダメなんだよ、やっぱ。まだ2週目。今んところついていけてる。ファイト。
 そんなこんなで30分くらいヨガをやっていただろうか。で、これからさらに朝散歩なのだ。朝の光の中を歩くのだ。
 時刻は6時少し前。さすがにこの時間帯には散歩している人はいないだろうと思いきや、結構いるんですね。おられます、散歩されている方たちが。
 何日ぶりだろうか。朝散歩気持ちいい~。最高。お日様がわたしの一日のスタートを祝福してくれているような感じなんだ。いや、お日様を通して神様が祝福してくださっているんだった。失敬、失敬。
 わたしにはお決まりの散歩コースがあるんだけど、そこは田んぼと畑が広がっている道なんだ。で、変化がありました。それは最近、田んぼに稲の苗が植えられて水が入ったのです。だから、ちろちろ、ちろちろと水の流れる音がする。それがまたすごく癒される音なんだ。そして、田んぼの水面にお日様の光が当たって、きらきら、てらてら光ってる。何て美しいんだろうって思った。何か久しぶりに心の底から感動したな。この田んぼの水が太陽の光を反射している様子は、本当に心が洗われる。ここんところ、不調気味だったわたしに足りなかったもの。それはこういう安らぎだったんだなって気付かされたんだ。田んぼに注がれて流れている水の音。そして、田んぼの美しい日の光を受けた水面。さらには、かもがいたり、名前は分からないけれど鳥がいたり。で、その鳥がまた生きているんだ~ってことを証明するかのように鳴き続けるんだ。「わたしはここにいるよ。ここに生きているんだよ~」って叫んでいるかのようなそんなつんざくような鳴き声。生命力にあふれてる。
 お日様の光とおいしい空気と田んぼと畑。人間はこういうものを享受するように造られているんだなぁって思う。パソコンの画面を眺めていても幸福感を感じるのは難しいと思う。光は光なのに、朝散歩の光とパソコンの光はまったく別物だよ。幸福感を与える命の光と幸福感をすり減らして焦燥感をつのらせるばかりの光くらいの差がある。何かポルノを見て得られる快感よりもこの朝散歩の快感のほうが健康的だし、自然だし、おだやかで長続きする。やっぱり、人工的なものにふれている時間が長いと感覚が鈍くなってきてしまう。それをつくづく感じるなぁ。
 朝散歩を終えたわたしはそれから朝食を作り始める。今朝のメニューは、キャベツのカレー。すごく簡単な料理で、ただキャベツを切ってスパイスと塩で炒めてツナを入れるだけ。ね、簡単でしょう? それがまたうまいんだ。クミン(←スパイス)のホールの粒々と少量入れた三種のスパイスが絶妙な味わいでこれもまたやみつき確定。
 今9時をちょっと過ぎたくらいだけれど、早起きすると一日が長いね。それもそのはずで、起きてからもう6時間近く経っているからね。今日はすごく活き活きしていると自分でも思う。活力にあふれているというか、元気がみなぎっている、というか。
 だから、生活を整えることって大事なんだな。生活を律して活力をみなぎらせるには、やっぱりいい生活を送ることが必要なんだ。わたしたちはいいにしろ、悪いにしろ、生活を送らなければ生きていくことができない。生きているってことは生活を送るということなんだ。だったら、生活を整えようじゃないの。自分が快適に幸せに生きていけるように少し生活を変えてみようじゃないの。そうしたら、生活が変わる。すると、生活である人生も変わってくる。変わり始める。
 今思うと、わたしが自殺未遂を繰り返していた頃は生活も荒れていた。夜中の2時とか3時頃までパソコンをやって、アダルトビデオを寝る直前まで見ていた。でも、今思うんだ。それじゃあやっぱり死にたくなってもおかしくないよね、って。だって、自分を粗末に扱ってるんだもん。夜中というのは本来、本能的にも寝ていなければならない時間でおやすみタイムなのだ。それを自分を酷使して現代的なスクリーンタイムにしてしまったら、心もすさんでくるし、荒れてくるし、死にたくなっちゃうよ。
 だから、なおさら生活を整えるんだ。そして、わたし自身、この好循環を続けていきたい。
 実はね、今日朝散歩しながら泣きそうになったんだ。こみあげてくるものがあってね。朝、散歩しながら泣いている人なんて、おかしな人だと思われてしまうかもしれないけれど、嬉し泣きだったのだ。あぁ、何て自分は幸せなんだろう。何て恵まれているんだろうって星さん泣きそうになったんだ。それくらい今日の幸福感はこみあげて、わたしに訴えかけるものがあった。そして、思った。こうした素晴らしい贈り物を、プレゼントを神様からいただいているんだなぁって。
 神様からのギフトは心が荒れている状態では感謝して受け取ることができない。だから、まずは自分自身の生活を整えて浄化していく必要がある。そして、空っぽにして、器の中をきれいにして、神様からの恵みを存分に受け取るんだ。自分の考えとか思いで器がいっぱいだったら恵みが注がれるスペースがないし、中が汚れていたらせっかくの恵みも濁ってしまうからね。

 神様。わたしを清めてください。主イエスのみ名によって。アーメン。

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