色がある。ものには必ず色があって、バラエティーに富んでいて、見ているととても楽しい気分になってくる。もしも、世界に色が一色しかなかったら、と思うと残念に思えてくるし、そんなの面白くない。
 ものに色がいろいろあるように、人にも色がある。これは礼拝の説教で牧師が語ったことの受け売りではあるのだけれど、人によって色が違うらしいのだ。みんな違う色をしている。もちろん、似たような感じの色の人たちもいることだろう。そうした人たちはお互いに波長があって、話が弾むのだ。それとは反対に、色が違いすぎると話をしても噛み合わなくて平行線ということが多そうだ。それはともかくとして、人には色がある。その色は一卵性双生児といえども、同じではなくて、一人ひとりが違うのだ。
 そう考えていくと、わたしは何色なのかな? 黒っぽい感じの色? それとも白っぽい? 暖色系? 寒色系? わたしは自分では明るめの暖色系だと思っているのだけれど、みなさんの目には星が何色に見えるだろうか? 意外にもクールな感じがして暗い寒色系に見えているのかもしれない。
 その人の色は瞬間ごとに変わり続けているものじゃないかって思うんだ。次の瞬間に黒が白に変わる、なんて大きな変化はなかなか起こらないけれど、それでも微妙に色は変わり続けている。だから、その人の色というのは、一期一会なもので、その人が全く同じ色になることはもうないんだな(限りなく近い色になることはあるだろうけどね)。この色は生きていて、常に変化し続けている。変わり続けているんだ。
 わたしもあなたも変わり続けている。変わる程度はその時、その時によって違って、大幅に色が変わる時もあれば、わずかにしか変わらない時もある。色が大きく変わる時というのは、何か人生でビッグイベントが起きた時だろう。最愛の家族が亡くなったとか、結婚したとか、子どもが生まれたとか、マイホームを買ったとか、そんな大きな出来事。少ししか色が変わらない時というのは、いつも通りに時間を過ごしたりしてあまり生活に変化がなかった時じゃないかな。
 ともあれ、そんなわけでわたしも色が変わり続けている次第であります。自分のことをカメレオンみたいだな、って思う。何だかそれは自分にしっかりとした軸がなくてブレまくっているようだけれど、本当、カメレオンみたいだなって思うんだ。読む本、体験すること、それらによって色が本当によく変わる。コロコロ、コロコロ、寒色系が暖色系に急変するほどの変化ではないものの、それにしても色が変わるんだよ。ブレない軸がほしいと思いながらも、なかなかこの影響の受けやすさは変わらないな。もちろん、イエスさまを信じているという軸は変わっていないけれど、それでも自分にとっての信仰の形は日々アップデートされていると思う。基本線は変わっていないけれど、それでも今日の信仰と昨日の信仰では姿勢において、若干違うような気がするんだな。「それでいいんかい?」とつっこまれそうだけど、まぁ、わたしがそういう感じなんだから仕方がないんじゃないの?、としか言えない。
 わたしが今どんな色なのか、大雑把なことは分かっているつもりだけど、それでも自分で自分の色をはっきりと見ることはできないと思う。この色を一番正確に把握しておられる方は神様だ。まぁ、家族もわたしの色を把握していると言えば、そう言えないこともないものの、それは不正確なものだ。人間は全能ではないから、限られた認識しかできない。ゆえに偏り見ることしかできないんだ。いわゆる偏見でしかものを見ることができない。そんな偏りなどない存在と言えば、もう神様しかおられないでしょう。てなわけで、神様だけがわたしの正確な色を、それも本当の色を見ることがおできになる。
 神様だけがわたしの本当の色を理解していてくださっている。何という慰めなのだろう。わたしをわたし以上に理解してくださっているお方。それが神様なのだ。だから、わたしのちっぽけな自己愛をはるかに超えた愛がそこにはある。わたしの色はドロドロしていて醜いことだろう。ここには書き尽くすことができない醜さがわたしにはある。そのくすんだ腐ったような色であるにもかかわらず、神様はそれでも愛してくださっている。きれいな色とか美しい色とか、そういうものを愛するのは人間でもできることだ。でも、人間には難しかったり、できないことは、汚(けが)れている存在を愛することではないだろうか。さきにわたしは自分のことを明るめの暖色系ではないか、と書いたけれど、本当の色はどぶのような泥のような、どう見ても美しい色だとは呼べない、それはそれは見る者をぞっとさせる色なのではないか。
 上から厚塗りされていて、ごまかしてある色も神様には透けて下の本当の色が見えていることだろう。それでも、神様はそんな色のわたしを全身全霊で愛してくださっている。何という恵みなのだろう。
 瞬間、瞬間ごとに新しくつくり変えられているわたしの色。その色が深みのあるものになっていったらいいなとわたしは思う。深い、深い、簡単には出せない味わい深い色。でも、そんな色を出せたかどうか、といったこととは関係なく神様はいつも共にいてくださっているんだ。いい色が出せたらと欲を出しながらも、出せないからといって失望するのではなく、自分らしい色を出せたらなと思う。というか、その色がたとえどんな色であっても、それがわたしの色なんだ。ありのままでいいとは思えなくて、あいだみつをの書にもあるように、トマトをメロンに見せようと必死になっているだけなのかも。と、なかなかまとまらなくて、ブレているのが見えみえだけれど、まぁ、やれることはやって、あとは神様に委ねようと思うんだ。神様は悪いようにはなさらないさ。
 でも、いい色出したいなぁ(って委ねるんじゃなかったんかい!)。

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