書き始めてから10分が経過しているというのに、1文字も書き出せないでいた。で、やっと重い腰を上げて書き出した。この文章は前途多難である。
どうせ書くのだったら、いい文章を書きたいと思う。真面目なわたしは毎日良質な文章を量産しなければならない、という重圧に押しつぶされそうになっていた。
今日はなぜか気分が乗らない。なぜだろう。変わったことはした。今日、9000歩ばかり歩いてみたのだ。そうしたら頭の中が真っ白にさらわれてしまって、いわば活性化されすぎて、きれいになりすぎて不調になった。いつもは3000歩とか4000歩くらいしか歩かない。それを約2倍に増やしてみたわけだ。原因はこれかな、やっぱり。
昨日はあれだけペラペラ書けたのに、今日は一向に文章が進んで行かない。流れていかない。
とここで重大なことに気が付く。わたしはいわばペラペラバカではないのか、という致命的な懐疑である。中身のないことをそれはそれは面白おかしく語る。ただそれだけの道化でありピエロのようなものではないのか、と。いや、そんなことはない。わたしはわたしなりに中身のあることを書いているつもりだし、スカスカの文章を書いてきたわけではない、と思いたい。けれども、このアマチュア文筆家の星の疑いはこの文章を書き進めていくに従って、そうかもしれない。いや、そうだ、という確信へと行ってしまいそうだ。
わたしの文筆って一体何なんだろう。批判者Yが自前のブログで力説するように、無駄なおしゃべりでしかないのだろうか。でも、一見して無駄に見えるおしゃべりにだって真理の片鱗はちらほら垣間見えるはずだ。
また今日もどこかで誰かが無駄なおしゃべりをしている。無駄なおしゃべり? 無駄っていうのはカネにならないということ? カネにならなかったら意味がないの? 時間の浪費でしかなくて、存在意義がないの? そんなわけない。そんなことを言ったら、子どもの遊びなんて単なる無駄だ。そんな無駄なことをさせている時間があるんだったら、習い事をさせて、塾にも行かせて有意義に過ごさせるべきだ。でも、結局それもカネにつながることをやらせようっていうことだよね。習い事だってつまるところ、将来有望な人間にするためでしょ? そのためにはピアノにスイミングにお習字にと忙しく駆けずり回らなければならない。
わたしはどうやらそうした罠に足をひっかけそうになっていたようだ。別に全部有意義にできなくたっていいじゃん。無駄なことに時間を費やして、不本意に人生を終えたとしてもま、それもいいんじゃないの? 不本意なのも含めて自分で責任を取るというのが人生だと思うな。だから、有意義に1秒の無駄もなく、目標を定めて最短ルートを最短距離で突っ走りたいのなら、そうすればいいと思う。でも、それがすべてではないということをわたしは忘れないようにしたいと思う。目標に向かって歩むどころか、道草食いまくって、脇道にそれまくって「あれ? どっち行くんだったっけ?」みたいな人生もありだよ。そんな調子で行けば、おそらく目標らしき目標は何も達成できないまま生涯を終えることになるだろう。でも、それもありだと思うんだな。
たしかにわたしのブログも無駄なものなのかもしれない。何も真理なんかこれっぽっちも掘り当てていないのかもしれない。でも、わたしはわたしなりに自分で見つけた一滴の真理を読者の皆様と分かち合うべく今日も書いている。すごい人たちと比べたら、わたしのブログなんていわば滓(かす)みたいなものだろう。何も得ることのないいわばクズみたいなものだろう。でも、それならそれでいい。そのクズのような文章がなにがしかの真理を掘り当てているかもしれない可能性にわたしは賭けたいのだ。
無駄の力がもしもあるのだとしたら、そんな無駄でありたいなと思う。そして、「役に立たない」と言われながらも、無駄であり続けることができたら最高だ。無駄を排して効率を追い求める時代だからこそ、逆にわたしの無駄な文章が光り輝くのだと信じたい。
無駄なおしゃべり。いいじゃないですか。無駄なことを無駄に無駄を承知で無駄だと思いながらやっぱり無駄だったね、でいいと思うよ。カネにならなくてもいい。いや、カネにならないからこそ尊いんだとも言える。
有意義病にとりつかれた現代を救うためには無駄こそが処方箋であり必要なことだ。だから、大いにこのブログは無駄なものでありたいな。またつまらないこと書いてるなと思ってもらえたら幸いなわたしである。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。