欲望と向き合う

いろいろエッセイ
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 何かをほしいと思う。予算と相談しながら、買おうか買うまいか迷う。考える。
 欲望には際限がない。どこまで手に入れても、ほしいものは尽きることなくわいてくる。何かを手に入れれば、別の何かがほしくなり、またそれを手に入れればまた別のものが、とほしいものには終わりがない。まさに終わることのない欲望とはこのことで、お金がいくらあっても足りないんだな。
 欲望のおもむくままに欲しいものを手に入れ続ける。それこそが人生の醍醐味であり、目的でないのか、とある人は言うかもしれない。ブランド品を手に入れ、車を、素敵なパートナーを、マイホームを、かわいい我が子を、そして素敵な老後を手に入れる。もうこれだけ手に入れれば、人生に後悔なんて何ひとつなくて、万々歳の人生。人生の成功街道まっしぐら、だろうか?
 わたしはそうした人生観を至上のものとする人に何もお説教をしたいとは思わないし、彼らもそんな話は聞きたくないことだろう。わたしの個人的な意見。そうした生き方は、渇き続ける人生だと思う。わたしには子どもはいないが、もしも子どもを育てることになったとしたら、「そんなのは空しいだけだからやめなさい」と物申そうかと思っている。
 ほしいものを手に入れ続ける人生というのは、とてもお金がいる。たくさんのお金がいる。一般的な会社員だったら、身を粉にして働かなければならない。それもほしいもののレベルがまだそんなに高くないうちは、ポケットマネーで何とかなるけれど、次第に要求レベルが高くなっていって、たくさんのお金が必要になってくる。で、困るからどうするかっていうと、玉の輿を狙ったり、ビッグビジネスを立ち上げたりするんだ。それで成功すれば生活レベルは上がる。けれど、ほしいもののレベルもそれに連動するかのようにどこまでも際限なく上がっていって、つまるところどこまで行っても満足できないんじゃないか、ってわたしは想像する。もうそうなってしまうと、完全に物欲にその人は飼われていて、人生がほしいものを手に入れるためだけにあるような状態になってしまう。そうなれば、もはや昔には戻れない。あの97円のバナナが半額で買えて、それを「おいしいね」って喜べた日々はもう消え去ってしまう。
 だからわたしは思う。欲望はほどほどがいいんじゃないか、って。ほどほどに何かをほしいと思って、それをほどほどにかなえる。自分が大切にしたい夢や希望を一つずつあたためて、できる範囲でかなえていくんだ。その時に、しっかりと自分の欲望には手綱をして暴れ馬にならないようにするんだ。
 そして、持っていないものを手に入れることを中心に据えるのではなくて、持っているもので足ることを知る。ほしいものがあっても、すぐに手に入れようとはしないで、本当にそれが自分にとって必要なのかよく考えるようにする。
 足るを知っている人間は本当に豊かだと思う。一番貧しい人というのは、どんなものを手に入れても、もっと、もっとで満足できない人のことだよ。あるもので満足できる、満たされるっていうのも一つの能力だとわたしは思うな。これからの時代に必要とされる立派な能力だよ。
 と言いながらも結構星さんてね、ミーハーなんだよ。新しいもの好きなんだ。今ではもう最新のものを追っていないけれど、新しい技術とか、物が登場するとすごく気になるほう。でも、やめたんだ。それを追っても、満たされることはないって分かったから(でも、メタバースとか未来のテクノロジーには興味津々)。別にパソコンなんかも使えればいい。最新鋭にしなくたっていいんだ。ちゃんとパソコンとして機能を果たしていればノープロブレム(問題なし)。
 新しいものに無関心ではなくて、適度に関心を払いながらも、それに流されない。持って行かれない。そんな風でいられたらなって思うんだ。
 それにしても、ネットって広告ばっかりじゃありません? ひたすら広告のような気がする。まぁ、売っている方からしてみたら、それがメシのたねなんだし、それが仕事みたいなものなんだからね。でも、それに付き合い続けていたらお金がいくらあっても足りない。どこかで線を引かなければならない。だから、最近わたしはネットサーフィンとかやってないんだ。ネットショッピングもサイトへ行くと、やっぱりほしくなっちゃうから極力見ないようにしているし、結構線を引いてるかな。お金を使わない方法はお店へ行かないことですよ。でも、自分を向上させるのに役立つ必要なものは買う。考えて買う。そこんところ、メリハリをつけないとね。
 広告の洪水の中で何を選んでいくか。また広告がうまいんだよね。これを買わないと人生終わるとか残念な人になるとか、そういう煽り方してるのって結構あるよね。向こうはキャッチコピーのプロみたいなものだから、なかなかこれを無視するのは難しい。だから、最初から見ない。「お達者で~」みたいな感じで最初から見ない。それくらいがいいと思うな。
 つくづく思うんだけど、ほしいものがたくさんある人って大変だと思う。だって、それを手に入れるためにたくさん働かないといけないから。たくさんの欲望をかなえるためにはたくさんのお金が必要で、そのために働きづめになるんだ。一方、ほしいものが少ない人は実に身軽だ。あまりお金が必要にならない分、たくさん働かなくていいし、使う量自体が少ないから貯金さえできてしまうくらいなのだ。
 このことに気付かされたのは、こういう人が身近にいたからだ。その人はアーティストTの大ファンで、Tの全国公演のコンサートがあると、ほぼすべてを観に行く。まさに全国公演コンプリートの猛者で、T教(アーティストTが教祖様みたいなもの)の熱狂的な信者といったところだ。で、その人はお金持ちだから、そういうことができているか、って言うとそんなことはなくて、このいわば祭りのために日夜働きづめなのだ。Tのコンサートに行くために懸命に働くのである。全国各地で行われるコンサートに行くためには、交通費、宿泊代、食事代、おみやげ代、ファングッズ代ともちろん諸雑費がかかる。それらを合計すると毎年数百万円は軽く使う。もちろん、その人が自分のお金をどのように使おうとそれはその人の自由なのだから、他人がどうこう言えることではないのだけれど、そのコンサートは全公演と言えどもだいたい歌う曲目は同じようなものなのだ。そのほぼ似たり寄ったりのコンサートに行くためにうん百万円を使う。うーむ。ちょっと考え物だなと思いません? まさにその人にとってTは貢ぐ対象であり、神聖な偉大な存在で、彼女にとってTがすべてなのだ。働く目的であり、生きている張り合いであり、意味だと言ってもいい。たくさんの欲望をかなえるためには基本的にたくさん働かなければならない。そのことをはっきりとわたしに教えてくれた生き様である。
 だから、欲望はほどほどが一番だなって思うんだ。その方が身軽でいいしね。
 自分の欲望と向き合いながら、それは本当に自分がほしいものなのか丁寧に自分に聞いてみる。それでもわたしがそれを「どうしてもほしい!」と何日経っても叫ぶのであれば、それは本物であってわたしはそれを手に入れるために動き出すのだ。と言いながらも欲望があるのは生きているっていうことだね、とも思う。問題はそれが行き過ぎていないかっていうこと。過剰すぎる欲望は身を焦がすからね。でも、それが何が何でもほしい、と思うこともあるかもしれない。そうなったらその時はその時。また焦らずぼちぼちやっていきましょう。
 わたしにもほしいものややりたいことがたくさんある。その一つひとつを吟味しながら、ていねいに自分自身に「本当にほしいの?」「それを本当にやりたいの?」と問いかけながら注意深くその思いをあたためていけたらと思う。焦るのは良くない。すぐ買わないと売り切れになったり、すぐやらないと間に合わないこともあるかもしれないけれど、まぁ、そんなに緊急性のあることではないだろう。ぼちぼち自分のもろもろの欲望と向き合っていきたい。そして、考えて、ぼちぼち欲望をかなえながら、人生を歩んでいった結果、生涯が終わろうとする時に後悔することがなければ最高だな。
 欲望の奴隷ではなくて、欲望の主人でありたい。それがわたしの願いだ。

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