今日は日曜日。ここんところ調子があまり良くなくて、教会の礼拝はお休みして自分のペースでゆっくりと過ごしていた。家の中で静かに本を読む。まさに至福のひとときである。
とそこへ静寂をぶち壊すかのように選挙カーの声が。それも窓を少し空気の換気のために開けているせいだろう。ガンガン、ガンガン、選挙の候補者の名前を連呼する声がわたしの脳天に響いてくる。これは、うるさいんじゃないか。
選挙カーにうるさいとかどうとかワガママなんじゃないの、と言われてしまいそうだが、わたしにはわたしなりの意見がある。それは選挙カーを使って大音量で候補者の名前を連呼することに果たして意味があるのか、と言いたいのだ。わたしは意味がないと思う。だって、それには内容がないのだから。つまり、候補者の名前というただそれだけの情報を垂れ流しているだけだからだ。それって名前を言い広めているだけじゃん、って思うのだ。本来だったら、こうこうこういうことを当選したらしますから、こういう政治をしますからといったことを情報として発信すべきなのだ。それを選挙カーでしないでただ単に名前だけ連呼しているだけ。わたしはこれにはほとんど意味がないと思うし、静かに過ごしたい人の迷惑にもなっているんだから、選挙カーでの選挙活動という昔からの慣習を検討して見直してもいいんじゃないかと思うんだ。
わたし自身、小学生のころからこのことには疑問を持ち続けてきた。何でわたしはこれを聞いても投票できないのに、こうした騒音を聞かされなきゃいけないのかな、って。小学校で授業を受けている時に大音量で選挙カーがわたしたちが授業をしているというのに、候補者の名前をこれでもかと繰り返す。うるさいって思った。何の権利があってこんなに騒音をまき散らしてるんだって子ども心にわたしは反発していたんだ。そして、現在38歳。あの小学生のころ思っていたことは何も変わらずなのである。変わっていることはわたしが選挙権を立派に得ていて投票できるということくらいだ。
が、うるさい。うるさいもんはうるさい。選挙権があろうとわたしには静かに過ごしている自由と権利があると思う。それを選挙カーは白昼堂々と侵害している。もちろん、法律的には何デシベル以下の音量にしているから問題ないとかそういう回答が来るんだろうけれど、うるさいもんはうるさい。
わたしは選挙カーで候補者名を連呼しない政治家がいたら、そして、その候補者の政治的な立場や姿勢に共鳴できたら投票してもいい。むしろ、喜んで投票したいと思う。しかし、そんな政治家、まず変人とか変わり者だとか思われて確実に落選するだろうな。これだから慣習とかしきたりが支配する政治の世界というものは変わらんのだよ、と毒舌吐きながらもそんな政治家現れないかな。静寂を守る党とかいいと思うんだけどな、と独自路線を爆走中の星である。ま、わたしは少数派ですな、ハイ。
静かな空間に、静かな時間。これは大切なものだと思う。それを願う人のそうしたものをぶち壊すのはやはり良くないのではないかな。もちろんわたしは選挙カーがうるさいから選挙自体をなくせとか言いたいわけではない。ただ、投票するのもしないのも自由なんだから、強制的に選挙カーの騒音を住宅街に垂れ流して聞かせるのはやめてほしい、ということだ。何も無茶苦茶なことを言っているわけではないと思う。その候補者名の連呼を聞きたい人、つまりは希望者だけが聞くようなシステムというかやり方を考えてほしいということなのだ。そうすれば、そういった政治的なメッセージを聞きたくない人の静けさという平和が壊されないで済むのである。テレビ、ラジオ、ネット、新聞などメディアは無数にある。それらにアクセスするということはそれをその人が希望して求めているということなんだから、そういう自主的なアクセスだけに選挙活動を規制するような法律をつくってもいいんじゃないかってわたしは思うんだな。何かわたしはおかしなわがままなことを言っているのだろうか。
と、また選挙カーがやってきた。今度は別の候補者だ。はー、ため息が出るよ。誰かこのわたしの主張を国会まで持って行ってくれる人いないかな。細かい話かもしれないけれど、集中力を思いっきり殺がれるんだよ。わがまま? 自己中? 選挙はみんなの選挙なんだから? はいはい、と仕方なく日曜の午後選挙カーの声を不本意ながらBGMにして執筆している星なのであった。あー、選挙早く終わらないかな。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。