昨日、嫌なことがあった。わたしがせっかく相手に好意を向けているのにそれを足蹴にされたのだ。だから、昨日の記事を読んでもらえばわかる通り、文章がかなりネガティブになっていたと思う。
わたしがネガティブな感情に包まれて身動きできなくなると必ず開く本がある。それはデビッド・D・バーンズ『いやな気分よさようなら』である。この本は最近、著書『独学大全』で一躍有名になった読書猿氏もすすめているらしく、何かと売れているとのことなのだ。
この本はうつ病の人が自分で読んで読書療法ができるように書かれていて、その効果からおもに患者や心理学を勉強している学生などに読まれてきた。結構分厚い本で、こんな分厚いやつをうつ病の人が読めるか、といった批判はあるようだが、それでもロングセラーの名著なのである。
その本をもう何年ぶりになるだろうか。平積みされている本の山から取り出した星なのだ。
最初のあたりを読んで概要は思い出せた。簡単に言ってしまうと、ネガティブな感情を持ってしまう時っていうのは認知が歪んでいるのだ。認知が歪んでいるから事実をありのままに正しく解釈することができない。そして、ネガティブな感情を持つに至るのである。
たとえば、テストが赤点だったとしよう。不合格だったのだ。その時、その事実をどのように受け止めるかによって感情は大きく変わってくる。「今回は失敗したな。ま、次はこの結果を生かして合格できるようにしよう」と思える人もいれば、そうではなくて「もうだめだ。俺の人生は終わったんだ。俺は敗北者だ」と受け止めてしまう人もいる。この両者の違いは何かと言えば、認知が違うのだ。明らかに後者は認知が歪んでいて、事実を事実以上に悲観的にとらえてしまっている。人生が終わったと言っているけれど、本当にテストが赤点なだけで人生は終わりなのだろうか。そんなことはない。死んだら人生は終わりだけれど、まだこの人は死んではいないんだから終わってはいない。それから、俺は敗北者だとも言っているけれど、たしかに今回のテストでは敗北だったものの、これからはまだ分からないじゃないか。敗北者という安易なレッテルを貼るのは簡単だけれど、そんな100%の敗北者なんて存在しないから。仮に勝ち負けがあるとしても、勝ったり負けたりいろいろあるのが人生でしょ。だからずっと敗北者としてあり続けることなんて不可能だと思うんだ。それをバンっと敗北者一色にしてしまうのはどうかと思うよ。
これは星が著者のバーンズ先生の論法を参考にして繰り出した反論だけれど、案外これができないんだ。難しいんだ。
この本は認知療法という心理療法の本なんだけれど、やり方としてはまず頭に浮かんだネガティブな考え(これを自動思考という。)を紙に書き出す。それでその書き出したやつが本の中で紹介されている「10の認知の歪み」のどれにあてはまるか考えて、最後にそれを踏まえた上で合理的な最も妥当な考えを書くんだ。つまり、自分のネガティブな考えに「10の認知の歪み」という武器を持って反論していくんだ。それ違うんじゃない?、と反論していくんだ。もちろん、その場ですぐにこれは認知の歪みの2つ目のやつだとか判断できればいいんだけれど、これがちょっと慣れるまでは難しいところが難点かなとは思う。けれど、この方法はとても強力だ。頭の中で漠然と考えているネガティブ感情の原因そのものを叩いて修正していくんだからね。星さんもやってみたんだけど、何だかすごくスッキリする。根っこから取り除く感じで実に爽快。
てなわけで昨日の出来事を振り返ってみたら、単刀直入に10の認知の歪みのうちの「すべき思考」になってたなって気付いた。人から好意を向けられたらそれに応えるかどうかというのはその人の自由でしょ、って気付いたんだ。わたしの好意を足蹴にしたその人のことは決してほめられたものではないけれど、その人はわたしの操り人形とかロボットではない。その人にはちゃんとその人の人格があり、意思があるんだからそれを尊重しなくちゃって思えたんだ。もちろん、わたしの好意を受け取ってもらえなかったことは悲しい。せっかく向けた好意をそんな風に返されたらやっぱり悲しいよ。でも、それで怒ったり、イラついたりするのは合理的じゃないなって今となっては思うんだ。わたしはわたしでちゃんとその人に好意を向けたんだ。敵意を向けたわけではないんだ。やることはわたしなりにきちんとやったんだ。で、その結果が相手からどのように返ってきたとしてもそれは相手の対応なんだから仕方がないことだ。わたしがそういう人なんだなと今後の関わり方に生かしていけばいいだけのこと。つまり、わたしはその人にあなたはこうすべきだっていうのを押し付けようとしてたんだな。それが分かって何だかほっとした。
とりあえず、星は10の認知の歪みを頭にしっかり叩き込んで毎日の生活に応用していこうと目下思っているところであります。どう変わっていくか楽しみだなぁ。
あなたもネガティブな感情でいっぱいになったらこの1冊をぜひとも読んで役立ててくださいね。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。