あと10分で朝の9時。今日も素晴らしい一日が始まりますように、と祈りをささげて幸福感全開で一日が始まるかと思いきや、そうではない。あなたの期待裏切りまくりの星さんのこの展開。
実は今朝、起きてからすぐにお風呂にも入らずネットをやったのだ。軽い気持ちで調べたいことがあったのでやってしまったのだった。それがまずかった。
やっぱりわたしにはパソコンというか、ネットが向いていない。何だかネットをやり終わったあたりから、疲労感、ならびにイライラしてきて気持ちがくさくさしているのだ。それだけならまだしも、何かまわりのことに対してやたらと不満たらたらだし、昨日まで当たり前にこなしてやってきていた食器洗いなどが本当にめんどく感じられてきて、とにかく不調。だるくてだるくて、何だか不調。
最近のわたしがとりわけ絶好調に近い状態だったから、今日のいわばプチ不調がとてつもない不調に感じられるのかもしれない。
はっきり言うまでもなくわたし以外のほかの人たちってすごいと思う。あれだけスマホとかタブレット端末とかでネットをやっているのに、不調にならない。(いや、いつもプチ不調は抱えているのかな?)電車とかでもみんなスマホをやっていて、すげーって思う。わたしは今朝、1時間もネットをやっていないのに、もう不調なのだ。わたしってデリケートなのかしら? 繊細なのかしら?
以前、HSPといういわゆる繊細さんについて書かれた本を読んだ。その本に書いてあることはかなりわたしにあてはまって、うんうん、そうそうって読みながらうなづいてしまった。わたしはきっと繊細なのだろう。だからと言って、それを黄門さんの印籠みたいに振りかざすことはしたくないし、そうすることがいいことだとは思えないけれど、この繊細さ、何かに生かせないかな。
って生かしてるじゃん。このブログの執筆にわたしの繊細さ、存分に生かされておりますぞ、ってか。わたしの文章のすべてから繊細さ、壊れやすさが感じられるというわけではないと思う。でも、この綴っている文章のところどころから繊細さが感じられないだろうか。
ネットがわたしに向いていないのも、一つひとつの情報からモロに影響を受けてしまうからだろう。何というか、受け流せないのだ。適当にいい加減にあしらうことができない。だから、ある意味、いつも真剣勝負な感じになってしまって疲れてしまう。
物事には必ずコインの裏と表のように長所と短所があり、この世の中には完璧なものなんて一つもない。必ず、一長一短なのだ。
わたしの繊細さ(自分で自分のことを繊細だとか言っちゃっていいのかな?)は感受性が鋭いことである反面、衝撃を受けやすくて自分が壊れやすいことでもある。わたしはそこまでではないと思うけれど、芸術家って壊れやすくて、波瀾万丈な人生を送る人が多いじゃないですか。わたしに芸術的センスがあるかどうかは別にしても、そうした脆さがあるのは事実だと思う。でなかったら過去に自殺未遂とかするわけないよ。
わたしはこの脆さと共存してやっていかなければならない。で、そのために、そのためにもネットとはうまく付き合う必要あると思うのである。
ネットはわたしのこの繊細さ、ならびに脆さを増幅させてしまう装置じゃないかって認めざるをえない。不安が高まり、円滑に日常生活を送ることが妨げられ、幸福感も一気に低下する。
やっぱりわたしにはネットは合っていないんだ。向いていないんだ。ネットに適応できるかどうかはおそらく個人差があるだろうから、すべての人にネットが合わないとは言えない。でも、わたしには合わない。それが分かった。
今までネットを週3、週2、週1と減らす試みをしてきたわたしだけれど、週0とか、月1、2くらいにしてもいいんじゃないかって思う。もちろん、このブログの更新はしたいから、厳密にはそこまでできないかもしれない。でも、ブログの更新だけしてあとはパソコンをやらないみたいな感じにはできる。
わたし自身が幸福に生きていくために、何をやって何をやらないか、ていねいに試行錯誤しながら模索し、その都度修正していけたらと思う。別に何が何でもパソコンをやらなければならないわけではない。やることで幸福を感じられるようであれば、やればいい。それだけのことだ。無理してやることもない。やりたいからやるっていうのが大切じゃないかな。
わたしにはネットは向いてない。ネット不調とは無縁な日々を送れたらいいな。生活を整えて、日々を大切に暮らしていきたい。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。