石田ゆり子さんのエッセイを少しばかり読んでみて、気付いたことがあった。それは、勉強だけしてもいい文章は書けないんじゃないかということだった。文章というものはその人がストレートに現れる。文は人なりという言葉を思い出したわたしだった。
たたずまい。石田さんの文章にはたたずまいがある。やわらかいたたずまいと気品があるのだ。物腰と言ってもいいかもしれない。言葉の一つひとつにその書き手の品のようなものが出てくる。だから、その人のすべてが文章には筒抜けになる。芝居をすることもできるだろうが、ふとした言葉から本音が見え隠れしてしまう。隠し通すことはおそらくできない。
生き方。文章にはその人の品はもちろん、生き方が如実に現れる。毎日どのような生活を送っているか。どんなことを日々考えているのか。生計はどうやって立てているのか。そうしたまさに生き方が文章からどうしてもにじみ出てしまうのである。だから、良くない生き方をしている人間には基本的に良い文章は書けないことだろう。どうしてもボロが出るだろうと思う。(出ないとしたら芝居の達人だろう。)
こうしてダラダラとぐるぐるした文章を書いているわたしだが、わたしに足りないもの、それは物事についての知識の乏しさもそうだが、人生経験が圧倒的に不足していることではないかと思うのだ。いいところに気が付いた。石田さん、気付かせてくださってありがとうございます。
わたしの世界は本当に狭いと自分でも思う。わたしがでかける場所といえば教会と病院とスーパーマーケットと近所の散歩道くらいしかない。
人生経験の不足。それを補う方法としては、実体験が最強であるものの、読書も疑似体験として有効であると思う。なかなか実体験を広げるというのはわたしにとってはハードルが高くて難しい。わたしにまずできそうなことは疑似体験を読書を通してたくさんすることではないか。本を通していろいろな人の考え方にふれる。まずはそこからやっていきたい。
いい文章、おもしろい文章を書けるようになりたい。だから、まずはいろいろなジャンルの本を読み、人間としての幅を広くする。もちろん、キリスト教、心理学、社会福祉など関心のある分野は専門家顔負けなくらいまで高めたいと思っている。
だから、いい文章を書くにはわたし自身をもっと磨いて魅力的な人物にする必要があるのだ。と言ってしまうとウケ狙いみたいでひかれそうだが、そう思うのだ。
素敵な人を目指してやっていきたい。そして、素敵な文章をいつの日か書けるようになりたい。
わたしが生きた証を文章として残せたらと思う。夢は大きく、志は高く。
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変な人。
普通ではないと思う。
わたしが思っていることを言うとみんなひく。
そして、目の前にシャッターを下ろされて、
まさに閉店ガラガラ~。
わたしは気が付くと蚊帳の外。
なぜなら、今、大人気の
カヤノソトボーイズの2期生の瞑想担当だから。
最近、瞑想してないけど。でも、瞑想担当なんで。
そう、なんか浮いてるの。
この世界、日本という社会から。
わたしは何だかんだ生きづらい人生を送ってきた。
「もっと苦しくてつらい人はいっぱいいる。
お前のは大したことないだろ」、と言うやついるけれど、
苦しさ、大変さ、生きづらさはその人が感じていること。
その人の苦しさを分かっているのはその人だけ。
気が付いたら職歴ゼロ、社会経験ゼロの立派なメンヘラのおじさん。
わたしはしゃべんないほうがいいと思う。
しゃべるとその見た目にあまりにもギャップがありすぎるから。
わたしが自分のことを語れば語るほど、
女の人はがっかりします。失望さえします。
でも、いいじゃないの。
普通じゃないのがわたしなんだから。
わたしは風になりたい。
風になってただ吹いていたい。
【属性】
男。大学中退。吃音。統合失調症。精神障害者。希死念慮あり。現実感の喪失。無職。プロテスタントのクリスチャン。ヨギー。スターシード。英検3級。茶髪。HSPとASDの可能性あり。細身筋肉質。
