時間は不思議なものだとつくづく思う。同じ1時間でもあっという間に過ぎてしまう時もあれば、待てど暮らせど時間が過ぎない時もある。物理的には両方、同じ1時間なのである。けれど、時間の質というか、何かが異なっているのだ。
さらに加えて時間の不思議なところは、常に今しか体感することができないというところにある。過去、現在、未来とあるわけだが、今が積み重なって過去となり、今が未来となっていく。
今、今、今。今があるだけで過去も未来も存在しない。たしかに過去が存在したことをわたしは否定するつもりはないのだが、と言った話をし始めるととても難しい。わたしは哲学に疎い人間だから、時間論とか何も知らないので有意義なことは書けない。
でも、何か雑感として時間について述べることができたらと思って、今この文章を書いている。
時間でさらに不思議だと思うのが、時間を貯めることができないという点。時間は寿命こそ違うものの、1日24時間、各人に平等に与えられている。これを長くすることも短くすることもできない。できることと言えば、時間を生かすか、それとも無目的に漠然と過ごすかの違いくらいだ。
とここまで書いてきたわたしだが書くことがなくなってきている。時間について書くのは案外難しいのではないかと思う。なぜなら、時間とは空気みたいなものだからだ。当たり前にわたしたちと共にあり、当たり前に使っているもの、それが時間ではないだろうか。だからだろう。その当たり前のことについて書くのは難しかったりする。
当たり前にわたしたちに与えられている時間。もしもこれがなくなってしまったら、わたしたちから取り上げられてしまったらどうなるのか。わたしはミヒャエル・エンデ『モモ』のクライマックスあたりをぼんやりと思い出す。うろ覚えなのだが、時間がなくなるとわたしたちは硬直して動けなくなってしまうのではなかったか。わたしたちは時間と空間の中に生きているといったようなことをたしか哲学者のカントが言っていたと思うが、わたしたちはそれらの中でしか生きることができない。それは考えてみればごくごく当たり前のことだ。だからこそ、時間は大切なものであり、わたしたちになくてはならないものなのだ。
そう考えていくとわたしたちは時間を一体誰から与えられているのだろうか。わたしたちがわたしたち自身で時間を創造しているということはあるまい。それはない。では、それなら時間はどこから来ているのか。わたしは神様からだと思う。思うというかこれは信仰になるのだが信じている。神様が瞬間瞬間ごとに時間とこの世界を創造されているのか、それともあらかじめ神様が創造された世界と時間をわたしたちが消費しているだけなのか、それはわからない。神に聞いておくれという話である。でも、このある意味得体の知れないつかみ所のない時間というものを創造したのは神様だとわたしは思うのである。時間を、そう、わたしたちのために創造してくださったのである。
そういうわけで神様がもう時間を人間に与えるのはやめようと思われれば、時間を止めてわたしたちを石像にしてもいいわけだ。神様がその気になればそんなことは朝飯前だ。時間を止めること、時間の供給をやめること。これらは簡単におできになる。でも、神様はどういうおつもりなのかそれをなさらず、今もこうして世界の時間は司られていて正常に運行している。わたしはそこに神の愛を感じずにはいられない。
もっと言うなら、時間を止めたり、供給をやめるだけではなく、わたしたちを神様は次の瞬間にも滅亡させることもおできになるのである。でも、それもなさらない。そこにも神の愛があるのではないかとわたしは思う。
神の愛を感じながら、神様から与えられた時間を大切に使っていきたい。時間を大切に使うこと。これこそが、神様への感謝の表明である。時間こそ神様からわたしたちに与えられた最高の贈り物である。粗末に扱わないようにしていきたい。
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1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。