インド哲学

いろいろエッセイ

「わたしは誰からも愛されない」という呪いの言葉と向き合う

最近思うことがある。いや、前からもずっと思ってきたことだ。それは、わたしは誰からも愛されないのではないか、というわたしに巣くったいわば呪いのような言葉で、物事がうまくいかなかったり、人間関係で寂しさを覚えるときにふと頭の中に浮かんでくる。 ...
いろいろエッセイ

危ない人ですよね?

今日はヨガの練習を休んだ。昨日、ちょっと寝るのが遅くなってしまってとても練習ができるコンディションではなかったからだ。 ヨガの師匠に「今日、休みます」とショートメッセージで連絡をして、それからごみの日だったのでごみを出しに行った。 今日は雨...
いろいろエッセイ

何のために生きているのだろうと改めて考えたのでシェアします

わたしが今思っていること。それは何のために生きているのだろうということ。東京へ旅行に行って帰ってきてから、そのことばかりをぼんやり考えている。 何のためと訊かれると何のためなんでしょうねえ、と答えざるをえない。だって何のためにわたしの毎日の...
いろいろエッセイ

カミソリのような思想をたずさえて

気が付くとネットをやってしまっている。そして、ほとんどどうでもいいようなページを見て、自分の人生の時間を浪費している。 骨折してヨガができなくなってから、その朝の時間をわたしは歩いている。そこまではいい。問題は午後の時間の使い方でダラダラ、...
インド哲学

きっとすべては波でしかないのだろう

時々わたしなんていない方がいいのではないかと思う時がある。新聞にしろ、テレビにしろ、ありとあらゆるものが勝者によって営まれているのを感じるからだ。 テレビに映る美男美女は厳しい選抜を受けて残った勝ち組。おもしろい芸人もその世界でトップクラス...
インド哲学

すべては等価。ただそれだけ

「ブログを毎日更新中」などと公言しておきながら、ここしばらく更新していなかった。書いてあることと違うだろ、と思っていた人もいたことだろうと思う。毎日営業中とか言いながら、何も言わずに店を時間になっても開かないような、そんないい加減な感じであ...
インド哲学

必要とされることもされないことも単なる事実でしかない

何かこの世の中ではまるで必要とされることが価値があって善であり有益、という空気が流れていて、それに違和感を覚えたのでちょっと書きたい。 人は、というか、普通にみんながやっていることとして、事実に価値判断や善悪を加えている。本当は事実は事実で...
いろいろエッセイ

本当に信じることができるものはあるのか?

疑う。人は確実なものを手に入れるために目の前のものを一つ一つ疑う。 そうして疑っていくと何も残らない。熱心なクリスチャンだった頃のわたしにそのことを尋ねれば「神様とイエスさまです」と即答していただろう。けれど、今のわたしには本当に信じられる...
いろいろエッセイ

「それだけのこと」という言葉をわたしが最近よく使う理由

ふと、わたしが何かの価値を否定する時に「それだけのこと」という言葉をよく使っていることに気付いた。 そう、わたし、よく使ってるよね。この言葉。 この言葉、すごく強烈だなと思う。どんなに人からうらやましがられることをしたり、人として素晴らしい...
いろいろエッセイ

何かになるとか、ならないとかではなくて

わたしは何か、つまり何者かになりたかった。なって、自分はこれができて、この分野の専門家です、みたいなことを言える人になりたかった。となれば、そのためには人よりも秀でていなければならない。そうでなければ、ただの普通の人であってそこで終わってし...
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