インド哲学

いろいろエッセイ

カミソリのような思想をたずさえて

気が付くとネットをやってしまっている。そして、ほとんどどうでもいいようなページを見て、自分の人生の時間を浪費している。 骨折してヨガができなくなってから、その朝の時間をわたしは歩いている。そこまではいい。問題は午後の時間の使い方でダラダラ、...
インド哲学

きっとすべては波でしかないのだろう

時々わたしなんていない方がいいのではないかと思う時がある。新聞にしろ、テレビにしろ、ありとあらゆるものが勝者によって営まれているのを感じるからだ。 テレビに映る美男美女は厳しい選抜を受けて残った勝ち組。おもしろい芸人もその世界でトップクラス...
インド哲学

すべては等価。ただそれだけ

「ブログを毎日更新中」などと公言しておきながら、ここしばらく更新していなかった。書いてあることと違うだろ、と思っていた人もいたことだろうと思う。毎日営業中とか言いながら、何も言わずに店を時間になっても開かないような、そんないい加減な感じであ...
インド哲学

必要とされることもされないことも単なる事実でしかない

何かこの世の中ではまるで必要とされることが価値があって善であり有益、という空気が流れていて、それに違和感を覚えたのでちょっと書きたい。 人は、というか、普通にみんながやっていることとして、事実に価値判断や善悪を加えている。本当は事実は事実で...
いろいろエッセイ

本当に信じることができるものはあるのか?

疑う。人は確実なものを手に入れるために目の前のものを一つ一つ疑う。 そうして疑っていくと何も残らない。熱心なクリスチャンだった頃のわたしにそのことを尋ねれば「神様とイエスさまです」と即答していただろう。けれど、今のわたしには本当に信じられる...
いろいろエッセイ

「それだけのこと」という言葉をわたしが最近よく使う理由

ふと、わたしが何かの価値を否定する時に「それだけのこと」という言葉をよく使っていることに気付いた。 そう、わたし、よく使ってるよね。この言葉。 この言葉、すごく強烈だなと思う。どんなに人からうらやましがられることをしたり、人として素晴らしい...
いろいろエッセイ

何かになるとか、ならないとかではなくて

わたしは何か、つまり何者かになりたかった。なって、自分はこれができて、この分野の専門家です、みたいなことを言える人になりたかった。となれば、そのためには人よりも秀でていなければならない。そうでなければ、ただの普通の人であってそこで終わってし...
いろいろエッセイ

人生初の花火大会を終えて

40年生きてきたわたしが一度も参加したことがなかったもの。それは花火大会。だから、先日の初参戦はとても思い出深いものとしてわたしの記憶に刻まれている。 街にあるヨガの道場の帰りにふとデパートに寄りたくなった。デパートに寄って浴衣を見てみたい...
インド哲学

モークシャ?

何のために生きているのだろうと思う。ヴェーダーンタはモークシャのためだとはっきりと答える。それは本当なのだろうか? それともフィクションなのだろうか? ヴェーダーンタの本を読み始めてからというもの、何か目の前の景色が色褪せてというか、輝きを...
インド哲学

これでいいのか良くないのか

ほぼ毎朝のようにヨガの道場へ行ってヨガをやる。帰ってきたらお料理をする。空いた時間に読書をする。今は夏だから出掛けたい時にはプールや少しばかりの小旅行をする。母とも特に問題なく楽しく毎日を送れている。 申し分ない。やりたいことをやり、まさに...
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