今日は7月1日。この記事がアップされる頃にはもう8月になっているかもしれない。毎日、その日にブログの投稿をしているように見せかけて、まとめて何日分か予約投稿しているわたしだったりする。
今日、精神保健福祉士のWさんのことを少し考えていた。彼女が仕事を休日返上してまでやっていることがどうしてわたしにとって不快なのか、やっと理由が分かった。それは自分にとって大切な人に「それをやめた方がいい」と言っているのに、それでもやめようとしてくれなくて、その人が自分を傷付け続けているから。だから、わたしの心配している気持ちが大事にされていなくて不快になっているんだと思う。
でも、今日インド哲学の本を読んでいたら、まぁ仕方ないかなって思えてきた。わたしがワーワー言ったところで、Wさんが納得して自分でそうしようと思わない限り、きっと現状を変えようとはしないだろうから。
心配していることはしている。どうしているかなとは思っている。けれど、物事は成るようにしか成らなくて、それに万が一、予想外の最悪の事態が起こっても、すべては波だからWさんという波がまた海へと還っていくだけ。とまぁ、冷たいようだけれど、それくらいの気持ちでいる。
同じように母にも元気でいてほしいと願っている。できたら、いつまでもこの幸せな時が続いてほしい。でも、いつかは死に別れなければならない。その時にどれほど落胆することかわたしには想像することさえできない。
そうなったらその時はその時。それでもわたしは生きていく。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。