『アシュターヴァクラ・ギーター』というインドの聖典がある。その中に、思うがままに子どものように自由にふるまう、というようなことが書いてあって、それこそが悟った人の境地だと言うのだ。
それを読んでわたしはあっけにとられた。でも、それはもっともだなと思った。なぜなら、小さな子どもたちを見ているとその通りだからだ。
子どもにはまず怖れがない。そして、目にする物がすべて新鮮でキラキラ輝いて見えている。ただただ世の前に現れるいろいろなものに好奇心を全開にして向き合う。もちろん、何のために生きているかとか何のためにこれをやるのだろう、なんていう目的や目標なんてものはない。ただ生きている。今の瞬間を無心で何の損得も考えずに夢中になって生きている。
そんな彼らと比べて、わたしも含めた大人たちがどれだけ目が死んでいて、怖れや不安にとらわれていて、悲観的で、そして、ものすごく打算的で損得勘定で生きていることか。目的や目標がなければダメだ。無駄なものは無駄でしかないから切り捨てる、とつまらない干からびた感性で生きている。
成し遂げることや達成しなければならないことなんてないと聖典は言う。ただこの人生を自由に子どものように遊ぶように生きればいい。世界も自己も他者もすべて幻。だからこそ、子どものように何のこだわりもとらわれもなく生きる。その飄々としたあり方、すごくいいと思うなぁ。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。