あなたがいなくても生きていけるけど

いろいろエッセイ
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 昨日、わたしは落ち込んでいた。となれば、デビッド・D・バーンズ『いやな気分よさようなら』の出番である。この本には本当に救われている。ピンチになるたびに読み返しては生きる指針を与えてもらっている。
 今回の問題は愛情絡みの問題である。誰かから愛されなければ果たして不幸なのか。生きていけないのか。それがテーマであった。
 この本を読み返すまでは、わたしは誰かから愛されない人間は不幸だと思っていた。愛こそすべてだ。だから、愛が得られなければ絶望なんだ。そう思っていたのだ。でも、違うようだ。それはキリスト教的な愛を至上のものとし過ぎる考え方で、もっとしなやかな生き方がある。そのことをバーンズ先生からわたしは教わったのだった。
 自分が愛されたいと思う人から愛されなければ不幸なのか。これは人類の普遍的なテーマでもあると思う。多くの文学作品や映画やその他もろもろでもよく扱われるものである。で、大抵、愛が得られなくて絶望する人間が描かれる。愛、愛情は生きていく上での必需品。必須なものであってマストアイテムなのだ。だから、愛がなければ人間は窒息してしまって生きていくことができない。そう語る人がどれだけたくさんいることか。どれだけ多く語られてきたことか。
 しかしバーンズ先生はその昔からの考え方に異議を唱える。一人だっていいものだよ、と。バーンズ先生がひねくれ者なのだろうか。変わり者なのだろうか。いやいや、そんなことはないと思う。彼の主張は核心をついている。一人だっていいもので、一人でできることや、やれることは山のようにある。むしろ誰かとやるのではなくて、一人でやった方が楽しめることだってあるんじゃないか。そんなことをバーンズ先生は言う。さらには一人を楽しめない他者にべったりの依存人間は敬遠されてしまうとも言う。
 バーンズ先生の言うことがもっともだと思うのは、たしかに一人でできることは無数にあるし、一人でやった方が楽しかったり充実することだってあるというごく当たり前のことだ。
 わたしは今、ブログの記事を執筆しているわけだが、この作業は一人だ。朝散歩だって朝風呂だって読書だって一人だ。これらの作業を誰かと一緒にやる必要はないし、そもそも一人でやるからこそ意義が増すとも言える。わたし自身、振り返ってみてもこうした一人でやる作業は満たされる時間だし、大切な実り多き時間だ。逆にこうした時間を全部誰かと一緒にいる時間にしてしまったら、生活への満足度は明らかに低下してしまう。わたしにとって一人でやるこうした時間は嫌いでもないし、嫌いどころか好きな時間だ。だから、案外楽しめている。
 そして、さらにバーンズ先生が言う成熟した人間とはどうやら自立した人間らしいのだ。誰かと一緒に何かをやるのはそれはそれで楽しいけれど、自分一人であってもその時間を有意義に楽しむことができる。一人であっても幸福を感じることができる。そうした人間が大人なのだ。何も経済的に自立しているだけが自立ではない。経済的ということ以外にも、これは精神的な自立ということなのだろう。誰かと一緒でも楽しい。そして、一人でもアイムOK。だから、そうした人は人生の伴侶であるパートナーとも大人な付き合い方ができるのだ。「あなたがいないと生きていけないの」ではなくて、「あなたがいなくてもわたしは十分楽しく生きていけるけれど、あなたと一緒だともっと楽しくなるから一緒にいたい。」つくづく大人だなぁって思う。これだけしっかりしている人だったらパートナーに精神的にべったり依存するのではなくて、高め合う関係を作っていけることだろう。
 他者はいつもわたしが望む通りに動いてくれるわけではない。期待外れにしか動いてくれない時だってあることだろう。自分のことをいつも最優先にしてくれて、期待通りにいてくれる。100点満点。そんな理想の人なんていないと思うし、不可能だよ。できるだけ相手の期待に沿えるよう努力することはできても、それを完璧にやるのはどう考えても無理だ。だからこそ、バーンズ先生の言うように自立できていることが大切なのだ。いわば、相手に依存している状態というのは、相手の言動が全てなのである。相手が自分にどう振る舞うか。何を自分にやってくれるか。何を自分に与えてくれるのか。
 自分で自分を満たすことができていないと、相手から全面的に満たしてもらう必要がでてくる。相手だって人間だ。神様じゃない。無尽蔵にこちら側を満たし続けることなんてできないよ。そう、そうした無理のある関係というのは長続きしないものでもあるんだ。一方が尽くし続ける関係。それは尽くしている方が相手が重くなってきて、いずれは折れてしまう。
 だからこそ、大人になろうという話なのだ。とりあえず自分のことは自分で満たせるようになろう、ということなのだ。自分で自分を満たした上で、さらにオプションというか、付け足すものとしてパートナーと一緒にいることを楽しむ。それが大人な態度なのだ。そうした関係をパートナーと築いていけば、長持ちするだろうし、高め合っていけることだろう。オプションとしてのパートナー。何だか大人でいいなぁ。わたしも未来のパートナーに「あなたがいなくても生きていけるけれど、一緒にいるともっと幸せだからそばにいて」って言えるような成熟した大人にいつの日かなりたいな。
 そんな大人になれたら、きっと次から次に引く手あまたになるだろうな。まさにモテ期到来だろう。わたし自身、「わたしは一人でやっていけるけどあなたと一緒にいたい」っていう感じの人を想像するとすごく素敵な人だろうなって思う。でも、この文章を書きながらも「あなたがいないと生きていけないの。だから一緒にいて」っていう感じの人と将来結ばれるのかな? でも明らかに前者の方が大人だなって思う。
 っていう話を書いていたら、女優の広末涼子さんの顔がパッと浮かんだ。わたしが大好きな女優さんで、かれこれ20年近く前からわたしは彼女のファンだ。特に最近の広末さんって「わたしは一人でもやっていけるけど……」っていう感じがよりはっきりしてきて、ますます魅力にあふれてきたように思う。まさにあらゆる意味で自立した大人の女性だ。そうか、わたしは広末さんの男版を目指していけばいいわけか。男版になれるだけのルックスはわたしにはないけれど、それでも気持ちの持ち方とか心のあり方を真似することはできる。広末さんが素敵なのはルックスももちろんのことながら、一人の時間も楽しんでいそうな、そうした精神的な自立度の高さにある。だから、輝いてキラキラしているのだ。それが誰かに依存して「あなたがいないとわたしは生きていけないの」みたいな感じに変わってしまったら、その広末さんの魅力は崩れ落ちてなくなってしまうことだろう。
 自立か。わたしもいつかは経済的に仕事なり何なりして自立したくなってきたな。ま、ぼちぼちやっていくか。とりあえず、精神的な自立はどういう感じを目指していけばいいかつかめたから、この方向性でやっていけたらと思う。
 愛は素晴らしい。けれども愛情至上主義は依存的で相手にどこまでもよりかかって、飽くことなく相手に自分への愛情を要求し続ける。わたしはそうした道をとりたくない。そうではなくて、しっかりとするのだ。自分は自分で満たす。そして、それだけでもやっていけないことはないのだけれど、さらにそれにオプションとして、より良くするために他者と大人な態度で付き合えていけたらと思うのだ。
 わたしはとてもいいことに気付けた。問題にぶち当たるのも満更悪いことばかりでもないな。神様には引き続きどこまでも依存していこうと思うけれど、人とはわきまえつつ付き合っていきたいな。そして、他者と高め合う関係を作っていけたら最高だ。
 これからのわたしを見ていてください。一回りも二回りも成長してみせますよ。乞うご期待!!

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