詩篇とわたし

キリスト教エッセイ
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「シヘン、シヘン、シヘン。」
 ウルトラセブンのオープニングテーマの冒頭のメロディーがわたしの中に替え歌でこだましている。
「とーっても詩篇ん~、読みにくい♪」と続いていきそうな、わたしの替え歌はこれくらいにして、聖書の詩篇とわたしについて個人的なことを書いていきたいと思う。
 わたしにとって詩篇は何だかよく分からないなぁというのが率直な感想で、未だにわたしは苦手意識さえ持っているのだ。何しろ、まず読みづらい。短い言葉が散りばめられていて、それはそれは読みづらいのだ。わたしは説明的な文章の方が得意で、詩というジャンルがまず苦手。詩篇にも論理は通っているけれど、その途切れ途切れのような文章はすんなりとは頭に入ってこなくて、読んでいて疲れるし、最悪の場合イライラしてくる。だから、わたしと詩篇の相性はあまり良くなくて、聖書を読む際にもどこか距離を置き続けてきた。
 そんな詩篇を読もうと思い立って、今日で二日目。だいぶこの読みにくさにも慣れてきた。人間、慣れってあるもんなんだな。だんだんこの詩篇を読むことが心地良くなってきたものだから、人間は環境に適応するものなんだな、と思った。
 最初通っていた教会の牧師が詩篇をしきりにわたしに勧めてくれたことを今ふと思い出す。「祈りの書ですからぜひ読んでください。」そう言われて素直なわたしは詩篇を集中的に読もうと挑戦してみた。が、続かない。はっきり言うまでもなく、何も面白いとは思えなかった。ただただ、しんどかった。信仰を育むいいもの。分かっている。この詩篇全編を流れている神様への信頼、信仰の姿勢には教えられるものがあると今では思えるものの、当時のわたしにとっては猫に小判状態でさっぱり良さが分からなかった。その教会に行く以前に、自分で聖書を読んでいた時も、詩篇になると途端にテンションが下がった。で、よく分からないながらも一応、文字に目を通すことだけはして、読んだことにしていた。だから、一向にわたしと詩篇との距離が縮まらなかった。むしろ、どんどん敬遠していって、時間が経てば経つほど疎遠になっていくようなそんな感覚さえあったくらいだった。
 それから10年以上の月日が流れて、今なのである。やはり、わたしにとって詩篇という書物は何だか取っつきにくくて、この意識を克服したとは言えない。でも、昨日と今日改めて読んでみて、まだ苦手ではあるけれど、それでも何か詩篇から魂の叫びのようなものを感じて、案外面白い(と言うと語弊があるけれど)じゃないかって思えたんだ。これはわたしにとって大きな成長だと自分でも思う。今まで面白いと思えなかったものが、自分が成長してきたことによって、その魅力が少しであっても分かるようになる。歯が立たなかったものが少しは立つようになっている。今までのわたしが学んできたこと、体験、経験してきたことが積み上げられて、確実にステップアップしている。わたしはこのことがとても嬉しかった。
 詩篇のテキストは十数年前から何も変わっていない。同じテキストなのだ(同じ新共同訳聖書)。変わったのはわたしだ。わたしが変わったのだ。
 ところで、話が詩篇の中身のことに移るけれど、読んでいて気付いたことがある。それはイエスさまが実に革新的なお方だったんだなということだ。詩篇を書いた人というのは、しきりに正しい人間とそうでない人間を対比させる。そして、自分は不信仰な連中とは違って清いんだと事あるごとに主張する。何だかそれが読んでいてとても気になってきた。さらに敵を滅ぼすようにとしきりに神様にお願いをするんだ。いわば、ガチガチの信仰が詩篇では表現されている。
 それに対して我らがイエスさまは真っ向から反対の意見を掲げる。イエスさまは徴税人や犯罪者などの世間で言うところの悪い人と積極的に関わりを持たれた。一緒に食事までされた。詩篇ではそうした人とは共に座ったりしないなどと書かれているのに対して、イエスさまはそれをぶち壊されたんだ。さらには、敵を滅ぼすどころか、「敵を愛し迫害する者のために祈りなさい」とまで言われた。他にも、イエスさまは「裁くな」とも言われた。しかし、それでもイエスさまが御自身でお裁きになられたのは、自分を正しい者とみなして自惚れている連中だった。そうした人たちに対してだけはイエスさまは本当に厳しかった。
 詩篇を1/3ほどあらためて読んでみて、いかにイエスさまが革新的で、いわばラディカルかということがわたしの中ではっきりとしてきた。イエスさまは生ぬるくない。愛のお方でありながらも、既存の権力や権威に対して正面きって闘われた。
 とまぁ、ここまで書いてきたけれど、詩篇を読むことを続けていきたいな。詩篇の信仰はかなりガチガチだけれど、それを壊すも乗り越えるもその型があってこそだからね。いわば星は修行中みたいなものだから、まずは詩篇のベーシックな信仰を知るところからやっていった方がいいと思うんだ。修道院のことを詳しくは知らないけれど、どうやら詩篇漬けと言ってもいいくらい読むらしいから、詩篇は大切なんだろうなって思う。信仰の基本であり型である詩篇。この書物を繰り返し読むことによって、きっと星の信仰も成長していくことだろうと思う。そういうわけで、星と詩篇の関係はまた新たになっていきそうだ。
 みなさんも聖書をお持ちでしたら、詩篇をぜひ読んでみてくださいな。きっと詩篇を流れる神様への信仰に心打たれることだろうと思う。先人たちも詩篇から多くのインスピレーションを受けてきた。わたしもそれに僭越ながら連なるものとして、その恵みに与ることができたら、と願うのである。神様が詩篇を通してわたしをどのように変えてくださるのか、今から楽しみだ。

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