わたしの人生に加わったヨガという一つの朝のお勤め。来る日も来る日もヨガの道場へと通い練習をしていた。
が、昨日、またしても練習中に体を痛めてしまった。それが結構痛くて堪えていた感じで、病院へ行こうと思った。
「この感じではヨガをやらない方がいい」というわたしの直感は正しくて、やっぱりというか案の定、骨折していた。今回もまたしても左の肋骨。前回ほどはひどくないものの、それでも骨折は骨折ということで、またしてもヨガができなくなり、お休みの安静となってしまったのだった。
骨折したことによって、結構きつかった朝のヨガをお休みしてもいいことになり、ほっと安堵したのも束の間、それと同時に何だか悲しくなってきた。どうして自分はこうもセルフコントロールができないのだろうと落ち込み始めたのだった。骨折だったとしても落ち込み、骨折ではなかったとしても落ち込む。つまり、どちらであっても落ち込む。
と落ち込んでいる場合ではない。「2回目のドライブ、ドキドキしちゃう~♪」と日本の国民的女優のH氏が歌で歌っているように、2回目の骨折だってドキドキさせてしまうのだ。
さあ、明日から何をやろう? 何をやりたいとわたしは願っているのだろうか?
今日、ヨガの師匠に「骨折してしまいました」メールを送ったわけだけれど、わたしが同じポーズを取ってだいたい今回も同じ事をやり(つまり骨折をした)骨折したことを伝えるや否や、先生は「これで最後にしたいですね」としっかりと釘を差してくれる。3回目の骨折がしにくいなぁ(もう既に3回目を視野に入れている?)。
たしかに同じ事を繰り返す人はあまり賢いとは言えない。だから学習してくださいということでもある。
ところで、最近わたしは言葉数が前よりも少なくなった。母とは本当にざっくばらんな話ができているから問題ないのだけれど、何か必要以上に喋ることに意味を見いだせなくなってきた。言葉ってね、伝わらなければいけないものだって思う。だから、難しい話を延々としたりするのも考え物だなって思う。しばらく前から通うようになった整形外科。そのドクターの説明の言葉の量とわたしのそれを較べたら雲泥の差がある。「寸鉄釘を刺す」が理想だけれど、母と話をする時には本当におバカなことを言ってますよ。ここには書けないな、ちょっと。
まぁ、話をまた元に戻すと、これがわたしに与えられた春休みなんだろうなってつくづく思う。しばしの休息で2週間から1ヶ月は安静にするようにと言われた。
たしかに今回、骨折をした。でも、2月のXデーに、夢で見たお告げの通り、死ぬかもしれないと思っていたわけだから、この骨折はかすり傷でしかない。わたしが骨折できたのは生きていたから。死んでいたらもちろん骨折がどうこうとは言っていられなかった。
と、一瞬何かの歌のような幻聴がうっすら聴こえてきた(わたしは統合失調症でしたね。忘れてました)。疲れているのだろう。
「適度」にやることが今のわたしにとっての課題だと先生からも指摘され、適度って難しいよなと思いつつ、さて明日何をしよう?
おら東京さ行くだ。
冗談です。失礼。

エッセイスト
1983年生まれ。
静岡県某市出身。
週6でヨガの道場へ通い、練習をしているヨギー。
統合失調症と吃音(きつおん)。
教会を去ったプロテスタントのクリスチャン。
放送大学中退。
ヨガと自分で作るスパイスカレーが好き。
茶髪で細めのちょっときつめの女の人がタイプ。
座右の銘は「Practice and all is coming.」「ま、何とかなる」。