資格

いろいろエッセイ
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 最近、わたしは自分の行く末について考えるようになった。そして、考えていたら資格もいいのではないかと思った。
 資格。資格を取れば何かが変わるのかもしれない。そうだ、きっと変わる。ヨガの道場へ通うようになって人生は好転してきているけれど、もっとそれ以上にキラキラしてきて張り合いが出てくるんじゃないか。
 というわけでネットでいろいろと資格について検索して調べた。すると、何でもインド料理の資格があるらしい。わたしはものすごくそそられた。ヨガの資格以上にそそられた。それを、それをやればきっとバラ色の未来が待っているのだろう。そんな気持ちにさえなった。で、その資格を取るための講座の資料請求をした。
 そのことを母に夕食の時にそれとなく話したら鋭いツッコミが。「資格が生かせる仕事をするの?」いや、そのつもりはない。「じゃあ、何でその資格取るの?」その鋭いというか、最もな切り返しにわたしは答えることができなかった。というか、その資格を講座まで受けて取ろうとすると8万円くらいするんだ。8万円でうまい棒が何本買えることだろうか。何回外食とか贅沢ができることだろうか。
 資格を生かした仕事をするわけではない。つまり、スキルアップが目的ではない。じゃあ、何のためにその8万円のやつをやるの? 結局そうなると自己満足以外の何物でもないということになる。ただ、自分が嬉しいから。それをやると満足だから。その資格を持っていることを人に見せびらかして誇りたいから。こういうことを知っているんだぜ、みたいな感覚もある。
 そんなことをいろいろとウダウダ考えていたら、立花隆さんのことが頭に浮かんだ。今は亡き立花さん。彼だったらわたしにどんなことを言うのだろうか? 「資格、いいですね。頑張って取りなさい」なんておそらく言わなくて、「そんなことをやっているくらいならその時間を使って本をたくさん読んだ方がいい。その方が断然ものになる」とアドバイスしてくれるだろうと思う。そのインド料理の資格のための講座のテキストのクオリティーと量がどの程度のものなのかわたしはもちろん知らないし、知りようがない。でも、その立花さんがおそらくしてくれるだろうアドバイスに従うのであれば、そのお金を使ってできる限りたくさんの本を買った方が明らかに情報量は多いだろうし、有益だということになる。
 そんなわけで、アマゾンのショッピングカートにインド料理の歴史とかカレーの歴史についての本を放り込んでみたのだった。7、8冊、いや10冊かそれ以上は放り込んだ。それでも1万2千円。やはり、その講座の8万円というのがそれなりに高いことが分かる。2千円の本が8万円もあれば40冊は買える。レシピ本だったらそれだけれあれば買いすぎというくらいで、もう満腹を通り越してお腹いっぱいだ。
 とりあえずショッピングカートに放り込むことは放り込んだけれどまだ注文はしていない。まだ今一つ踏ん切りがつかないからだ。
 わたしは一体またどうして資格がほしくなったのだろう? その資格を取れば自分がパワーアップするだろうとか、より自分の価値が上がると思ったからではないか。でも、パワーアップしたり価値を上げてどうしたいのだろう? その資格を生かして稼ぎたいのだろうか? もっと稼いでお金を手に入れてハイクラスな生活でもしたかったのだろうか、なんて自分自身に問いかけていたら、それももちろんあるのだけれど、それ以上に自己実現していきたかったということのようだと気付いた。
 最近またミニマリズムの本を読んでいて、その思想にすごく心打たれている。ミニマムに贅沢をしようとしないで暮らしていれば、そんなにお金はかからない。だとしたら、そんなにガツガツ稼がなくてもいい。となると、最低限の収入さえあればいいから別に高望みをしてハイクラスを目指さなくてもいいし、その必要もなくなってくる。その本を読んでいたら、「いいじゃん」って思えた。曲がりなりにも生活はできている。少々赤字だけれど、それでも生活できている。
 資格を取るための勉強のいいところは、その分野の知識を体系的に学べることと試験を受けて合格しなければという心地いいプレッシャーがかかるところだと思う。けれど、あえて資格を取って「わたしにはこんな知識や技能があります」と証明してアピールしなくても、それと同じ程度の知識だったり技能があれば良くない? 別に自分を他の人より目立たせようとしたり差別化をはかろうとしなくても良くない? だってお金を得ることが目的ではないんだからさ。
 となると、何のために学ぶのだろうか? 資格を生かして収入を増やすためではなく、またほかの人にすごい自分や価値ある自分を見せるためではないのだとしたら。
 そうなってくると立花隆さんも言っていたように、「知りたいから知る」ということになるのだと思う。理由なんてない。役に立つからとかどうとか、そういうことではなくて、純粋に知りたいから。知りたいから知る。それに対して「どうして知りたいの?」と聞いても「知りたいから知りたいんだ」ということしか言えない。役に立つとか立たないといった有益かどうかみたいなことではなくて、ただただ純粋にこれまた人間の本能として知りたいと思う。それだけ、以上。「知りたいから知ることの何が悪いのさ?」で話はそこで途切れるし、終わってしまう。
 真っ当に働いていくつもりがないのなら、難関大学なんかに入っても仕方がない。高学歴のニートとして違う意味で人々から注目されるかもしれないものの(またそれで稼ごうとするわけね)、それだったらそんな受験勉強なんかしないでひたすら自分の好きなことをやる生活をしていた方がいい。それと同じように資格だって仕事に結びつけていくつもりがないのであれば、あえて取る必要もない。自分で独学をするか、誰かその道に詳しい先生から教わってその資格を持っている人と知識や技能において同程度になれればいい。
 資格というものはその資格で定められている最低ラインをクリアしていることを示すものでしかないから、資格を持っていなくても資格がある人と対等か、いや、それ以上のはるか高いレベルにいる人だっている。最強の素人だっているものだ。だから、たまに「本当にあなた専門家?」と言いたくなってしまうような残念な専門家に出会うこともある。ましてや、その業界で長年同じことを繰り返してやってきただけに、頭は硬直してガチガチになっているという残念な人もいるものだ。
 でもなぁ、自分の軸がはっきりしていないせいか、資格もいいなぁって思うんだよなぁ。資格を取るために一生懸命勉強したら「覚えなきゃ」という意識もあって、その分野の知識が自分のものになる。それはすごくプラスなこと。資格を取るんだという意識は、ただ漠然と気ままに読書をしているだけでは得られないのかもしれない。
 というか、四の五の言わずとりあえず資格を取れ。取ってからいろいろウダウダ言え、というのももっともなところで。資格を目指してみようかな。インド料理ではなくて、また別の気になっている資格を。そのための勉強をすればきっと毎日の生活が豊かになっていく。まぁ、その資格はすごく実用的だからね。インド料理の資格は見送って、レシピ本とか買うにしようかなとも考え始めているところ。で、期が熟したらそのインド料理の資格を講座を受けないで受験してみるのも面白いかもしれない。その時、その時やれるようにやっていくのみだ。
 最後に言うことは……。毎日ブログを更新してますと言いながら、ちょっとさぼってしまいました。最近、また油断したのか、記事の文字数が多くなってきてしまったものでして。それだけ一言詫びたい。ま、大目に見てね。

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