街までほぼ毎日のようにヨガを習いに行っていて思うことがある。それはヨガができるということは恵まれているんだなということ。
もしわたしが豊かな日本ではなくて、貧しい国に生まれて、それも貧しい家庭だったら、子どもの頃から朝から晩まで働かなければ生きていくことができない。働きづめでとてもではないけれど、ヨガなんてやっていられない。そんな状況だったら、ヨガが体力を無駄に使うことのようにしか思えないだろうし、ヨガを習うためのレッスン代なんてどう考えても捻出できない。
そして、もしもわたしの精神状態が最悪でヨガをやるどころか、普通に生活することさえ困難だとしたら、その場合でもヨガなんて習うのは無理だ。電車に乗ることなんてできないだろうし、ヨガの道場で普通に先生を含めた他の人たちとコミュニケーションを取るのも難しいだろうと思う。
でも、ヨガを習うためにその世界へ入ってみると、そこにはよりできる人たちがいて、こうした自分自身が恵まれているということが見えなくなってしまう。世界を股に掛けて仕事をして活躍している人、大学の先生、裕福な暮らしをしていてよく海外旅行をしている人、そしてわたしよりもはるかに高度なヨガを当たり前のようにやっている他の生徒さんたちに、雲の上の別世界にいるかのような道場の先生。
けれど、自分が持っていない物ではなくて、今持っている物に目を向けると、とても恵まれているなぁとしみじみと思えてくる。この与えられている恵みに感謝することを忘れないようにしていきたい。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。