真剣に何かをやるのはいいことだ。踏ん張って力を入れて懸命に成し遂げようとすることも必要。
でも、それがわたしにとっての長所であると同時に短所でもあるらしい。そんなことを先日の朝のヨガのクラスで師匠から指摘されて腑に落ちた。
わたしのヨガには力みがあるらしくて、どうしても力が入ってしまう。力を完全に抜いてしまってもヨガのポーズはできないのだけれど、かと言って力みすぎるとこれはこれでまたうまくいかない。一生懸命やることは必要であっても、必要以上に力が入ってしまうことはよろしくない。
そういうわけで、わたしは最近、ヨガをやる時にリラックスして力を抜こうと意識するようになった。そうしたら、あら不思議。あれだけ練習後にガチガチになっていた背中がならなくなったのだ。それにすごく楽でまだまだ練習できそうな感じさえする。あまり疲れてもいなくて、どこか心地良い感じがする疲れ方なのだからこれまた不思議。
この力みは体をガチガチにして怪我をも誘発する。わたしが道場の中で一番怪我をする、というのも体が固いことだけではなくて、力んで一生懸命に気を張ってヨガをやりすぎるからなのだろう。
だから、わたしの場合、もっと力を抜いてもいいようだ。そして、自分が心地いいと思える加減や程度を探していく。師匠が心地良くヨガができるのが理想だと力説してやまないのは、その最適な状態を見つけることが何よりも大切だからだ。つまり、調和ということ。何事においても心地いい状態を探していけたらと思う。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。