真剣に何かをやるのはいいことだ。踏ん張って力を入れて懸命に成し遂げようとすることも必要。
でも、それがわたしにとっての長所であると同時に短所でもあるらしい。そんなことを先日の朝のヨガのクラスで師匠から指摘されて腑に落ちた。
わたしのヨガには力みがあるらしくて、どうしても力が入ってしまう。力を完全に抜いてしまってもヨガのポーズはできないのだけれど、かと言って力みすぎるとこれはこれでまたうまくいかない。一生懸命やることは必要であっても、必要以上に力が入ってしまうことはよろしくない。
そういうわけで、わたしは最近、ヨガをやる時にリラックスして力を抜こうと意識するようになった。そうしたら、あら不思議。あれだけ練習後にガチガチになっていた背中がならなくなったのだ。それにすごく楽でまだまだ練習できそうな感じさえする。あまり疲れてもいなくて、どこか心地良い感じがする疲れ方なのだからこれまた不思議。
この力みは体をガチガチにして怪我をも誘発する。わたしが道場の中で一番怪我をする、というのも体が固いことだけではなくて、力んで一生懸命に気を張ってヨガをやりすぎるからなのだろう。
だから、わたしの場合、もっと力を抜いてもいいようだ。そして、自分が心地いいと思える加減や程度を探していく。師匠が心地良くヨガができるのが理想だと力説してやまないのは、その最適な状態を見つけることが何よりも大切だからだ。つまり、調和ということ。何事においても心地いい状態を探していけたらと思う。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/元ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。