家の近くにお地蔵様がある。目立たない場所にあるんだ。ある時、なぜかは分からないけれど、足を止めてお地蔵様に手を合わせたくなった。すると、お地蔵様の足下に小銭が20枚くらい置いてある。わたしはお地蔵様ではなくて、その小銭に心動かされた。誰かが置いていった小銭には素朴で純粋な信仰が表現されていて、それがじわじわ、じわじわ胸に来るんだ。
と、そこに供えられていたお花が枯れていることに気付いた。誰も替える人がいないようで、いわば放置されている。と、なぜだろう。なぜかは分からないけれど、わたしがそのお花を供えればいいのではないかと思ったのだ。
次の瞬間、今度は女の子がいる風俗店のことが頭に浮かんだ。そこで遊ぶにはお金が必要で、一番安いコースでも1万円少しはする。さらに贅沢にガッツリ遊ぶなら数万円はかかってしまうのだ。それに引き換え、お地蔵様に供えるためのお花を買うのは数百円で済んでしまう。で、その瞬間、はっとした。風俗店で万単位のお金を使うよりも、お地蔵様にお花を供えて手を合わせている方がいいのではないか、と。その方が穏やかな平和があり、そのことによって高いレベルの満足感だったり幸福感が感じられると思ったのだ。
風俗店とお地蔵様を比べるなんて不謹慎極まりないことは分かっている。でも、わたしの中でどちらがいいか答えが出たようだ。お地蔵様にお花を供えても性的快楽や絶頂感はない。しかし、安らかな慰めがしっかりとある。
お花を買ってお供えしよう。嬉しい出費になりそうだ。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。