家の近くにお地蔵様がある。目立たない場所にあるんだ。ある時、なぜかは分からないけれど、足を止めてお地蔵様に手を合わせたくなった。すると、お地蔵様の足下に小銭が20枚くらい置いてある。わたしはお地蔵様ではなくて、その小銭に心動かされた。誰かが置いていった小銭には素朴で純粋な信仰が表現されていて、それがじわじわ、じわじわ胸に来るんだ。
と、そこに供えられていたお花が枯れていることに気付いた。誰も替える人がいないようで、いわば放置されている。と、なぜだろう。なぜかは分からないけれど、わたしがそのお花を供えればいいのではないかと思ったのだ。
次の瞬間、今度は女の子がいる風俗店のことが頭に浮かんだ。そこで遊ぶにはお金が必要で、一番安いコースでも1万円少しはする。さらに贅沢にガッツリ遊ぶなら数万円はかかってしまうのだ。それに引き換え、お地蔵様に供えるためのお花を買うのは数百円で済んでしまう。で、その瞬間、はっとした。風俗店で万単位のお金を使うよりも、お地蔵様にお花を供えて手を合わせている方がいいのではないか、と。その方が穏やかな平和があり、そのことによって高いレベルの満足感だったり幸福感が感じられると思ったのだ。
風俗店とお地蔵様を比べるなんて不謹慎極まりないことは分かっている。でも、わたしの中でどちらがいいか答えが出たようだ。お地蔵様にお花を供えても性的快楽や絶頂感はない。しかし、安らかな慰めがしっかりとある。
お花を買ってお供えしよう。嬉しい出費になりそうだ。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。