手紙のように書けたら

いろいろエッセイ
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 人は何かを相手に伝えるために文章を書く。それが自分自身だけにであれば日記となるし、誰か一人へであれば手紙となり、多くの人へ伝えたいとなれば本となる。だから、本来はそれらには優劣はない。本の方が高尚で手紙はそれと比べると劣っているとか、そんなことはないし、そもそも比べること自体が間違っている。
 けれど、わたしはそのことを誤解していた。多くの人に読まれる文章こそ価値があるものであり、そうではない今現在のわたしの文章は劣っているのだと真剣に思い込んでいた。
 多くの人にわたしの文章を読んでほしい。さらには自分の文章が多くの人に読まれないのであれば価値が低いかあるいはないのではないか。
 そもそも文章の価値って何なんだろう。どんな文章に価値があって、どんな文章には価値がないのだろう。となるとわたしは安易な基準だったり、物差しだったりを求めてしまう。名著? 古典? みんながいいって言っている本? ベストセラー? などなど、それらは少なくとも多くの人に読まれてきたり、現に今読まれている本で、わたしの閑古鳥なこのしがないブログよりは断然価値があるのだ。
 でも、文章の価値というものは読者の数ではない。そして、その文章が経済的価値を持っていて富をもたらすかどうかでもない。じゃあ、どんな文章が価値があるって言うの? こう聞かれると即答はできない。価値、価値、価値。価値っていうものはそのものの受け取り手が判断して決めるものだと思う。文章だったら読み手が判断したり、感じるもの。
 というか、価値、価値って耳障りに感じられる方もいることだろうと思う。価値があるとされているかどうかではなくて、自分がいいと思うもの。それこそが自分にとって価値があるものなのではないか。だったらそれでいいじゃないの。別にそのみんながいいというものの価値が分からなくたって。あなたは価値というものに縛られすぎなんだよ。
 こんな感じで価値論を中途半端にこねくり回して戻ってくるところ。それが手紙だ。原点とも言っていい。手紙は基本的には誰か一人へとあてたものだ。だから、読者は一人。そして普通は公開されることはなくて、手紙を書いた人とそれを受け取った人の間でその文章は共有というか、消費されて終わる。そして、お金にもならない。商業的価値はほぼゼロで本当に私的なやり取りとして終わる。でも、その文章は受け取り手である自分だけのために書かれている。誰々さんがわたしのために手紙を書いてくれた。それも貴重な時間を使って、わたしのためだけに書いてくれた。それは不特定多数に書かれたものと比べてみればあたたかさが違う。みんなのために書かれたものはみんなという多数の人へとエネルギーが分散してしまっている。が、手紙は一極集中なのだ。わたしのために、わたしにそのエネルギーがピンポイントで来る。手間暇、労力、かけた時間、そして想い。そうしたものが全部受け取り手であるわたしのもとへと来る。それってすごく嬉しいし、気持ちが満たされる。それは「みんな大好きだよ」と手当たり次第に好意をふりまく文章ではなくて「あなたのことを大切だと思っているよ」「あなたのことが好きだよ」と直接語りかけてくる文章なのだ。
 文章の原点。それは自分の思いを相手に伝えること。だとしたら多くの人に読まれるかどうかなどと気にする必要はないし、その文章の目的が果たせていればいい。そう考えた時、わたしのブログの記事はそうした目的をちゃんと果たせているだろうかとふと不安になる。本来は伝えたいことを伝えるために文章を書くはずなのに、それがいつしか人気を得るためとかお金をたくさん手に入れるためなどといったことへと目的を見失う方向へと向かおうとしていないだろうか。アクセス数を気にする。そして、その結果に一喜一憂する。そうなってしまう時、書くということの本質を見失ってしまっているように思う。もちろん、アクセス数が少ないよりは多い方が嬉しい。自分が書いた文章が多くの人に読まれればそれはもちろん嬉しい。でも、本来の目的、文章を書くことの目的へと原点を見つめ直してみればそれは違う。違うんじゃないの、ということになる。わたしはこのブログで何を伝えたいのだろうか。と言うよりも何を伝えようとして記事を書いているのだろう。そうしたことに無自覚なまま、ただ記事を量産していたような。そんな痛い自分がいる。
 手紙のような文章。そんな文章が書けたらなって思う。誰か特定の一人に書いてはいないのだけれど、まるで読んだ人が自分のために書いてもらえたかのように感じる文章。思えば、今までわたしは文章において「わたしが、わたしが」だったような気がする。わたしはこう思う。わたしはこう考えた。もちろん、自分の意見というものを示すためにブログをやっているのだから、それはおかしなことでも何でもないのだけれど、そればっかりになっていた。読者を置いてきぼりにして。
 ここまで読んでいただいたわけだけれどどう思われただろうか? また堅苦しい持論を展開していると思われたとしたらそれはもっともだと思う。文章というものはなかなか難しいのだ。少しの力の入れ具合、さじ加減で文章が良くもなれば悪くもなる。でも、だからこそ面白い。
 自分の伝えたいことを伝えるために文章を書く。その最も基本的なことを忘れず文章をこれから書いていけたらと思う。誰かに伝えたい思いがあってそれが文章によって伝わる。それこそが文章の目的であって、書く人にとっても読む人にとっても幸せなこと。伝わる文章、書けたらいいな。

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