Are you happy?

いろいろエッセイ
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 何だか疲れているわたしである。疲労困憊で立ち上がれないというわけではない。けれど、全身にたちこめるような疲れがあり、どうもスッキリしない。
 わたしがよく自分にたずねる質問がある。それが「Are you happy?」なのだ。この質問は核心をついていて、大抵これに気持ちよく「もちろん!」と答えられるかどうかで自分の幸福度を知ることができる。
 今、わたしにこの質問をするなら、答えはこんな感じだろうか。「何かちょっと疲れていてだるいんです。不幸せというわけでもないけれど、かと言ってとびきり幸せというわけでもない。ま、とにかくこの疲れが抜けてくれればいいんですけどね。」
 幸せとか幸福度というものは何も難しいものではない。このシンプルな質問にどの程度肯定的に答えることができるかで簡単に知ることができるのだ。
 わたしの幸福度にかかわっているだろうことはいくつかあるけれど、一番大きいのは睡眠ではないかと思う。ぐっすり眠れて、しかも7、8時間くらい睡眠時間が確保できるとすごく調子が良くなる。一日の調子を大きく左右するものとしては、まさに朝の目覚めであって、朝起きる時にだるかったり、疲れが残っているのを感じると途端に幸福度は下がってしまう。一日の始まりからお疲れでは先が思いやられるものだからだ。
 次に大きく考えられるのは運動ができているかどうか。これってかなり大きくて、最近調子が悪いな~っていう時は大抵ヨガをさぼりがちだし、散歩なんかもしていなくて一日の歩数が数百歩しかいっていないという感じだったりする。分かっている。分かってはいるんですけどね。ついつい運動するのが面倒くさく感じられて億劫に思えてしまうのです。で、「エイヤ!」っと一念発起して(って言うのもオーバーだけれど、それくらいの踏ん張りね)運動すると今までの不調は何だったの?、てなくらいに気分が良くなるというのがいつものパターンなのだ。心と体はつながっていて切り離せない。だから、メンタルが低下した時にはまず体を動かすといいんだ。そうすれば、体が整えられて心もそれについてくる。
 あと、やることが頭の中でぐちゃぐちゃに絡まって整理できていない時というのも何だかとにかくやることが多く感じられて参ってしまう。そんな時は、紙とかノートに自分がやろうと思っていることを箇条書きにするんだ。そうすると、頭の中がスーっとスッキリするからあら不思議。これは効果があります。
 それから忘れていけないのはお祈りとか瞑想の時間を取れていない時というのも心がくさくさしてくるな。神様だったり、自分の内なる声だったり、そうしたものとつながれていない時というのも心がささくれてくるんだ。大いなる神様、そして自分の体と心の声。クリスチャンだったら神様の声だけきい……。
 とここまでで中断して続きの文章を午後の6時頃書いているわたし。ここまでの文章はは午前9時頃に書いていたもので、そうしたら急遽電話がかかってきたのだ。何だろう、と思って携帯を見ると祖父が入所している施設からの電話らしい。また、何か必要なものがあるのかな、と思ったわたしだったけれど、何と祖父がお腹を痛がっていて今から総合病院を受診するという。しかも救急外来で。介護施設のドクターでは対応しきれないとのことで、その連絡を受け、わたしと母は総合病院へとタクシーで向かったのだった。
 祖父はと言えば、祖父のお腹が痛いは食中毒とかそういう類のものではなくて、実に危険なサインの可能性が高いのだ。祖父は大腸がんをしていて、それから腸閉塞にもなっている。二回とも手術をしていて、それぞれ事なきを得ているのだ。今回の知らせを聞いて、また腸閉塞なのかなと思った。その読みはあたっていて、CTを撮ったら癒着性腸閉塞だと分かった。腸閉塞にもいろいろ種類があるという外科医。今回は手術をしなければ死んでしまうようなものではないらしいとのことで一安心したものの、それでも入院治療が必要とのこと。鼻からチューブを入れてご飯を食べずに胃を休める。そして、様子を見て良くなれば良くなったでよし。一週間から10日で良くなるかもしれない。が、経過が良くない場合、また手術かと思いきや、もう祖父は93なので全身麻酔を含めてすることはおすすめできないと医師。それから、最悪の事態についても話をする。誤嚥性肺炎になって命に関わる事態になった時に、延命治療をするかどうか尋ねられたんだけど、苦痛は取り除いた上で希望しないとわたしと母は答えたんだ。が、基本的には今回の病気は命にかかわるものではない。だから、最悪の事態も想定したけれど、それでも治療することに意義はしっかりあると判断したので入院になったのだ。
 最初の話とこの話を強引につなげるとしたら、祖父に「Are you happy?」と質問したら何と答えるだろうか。もちろん祖父には英語が分からないから「日本語で言ってくれ」ってなるとは思うけれど、もちろん日本語で聞いたら複雑な顔をすると思うんだな。でも、絶好調じゃなくても、入院になっても生きているということ。それがとりあえず幸せなことなんじゃないかって思う。もちろん、祖父が今の自分をhappyだと思えるかどうかっていうのは分からないけどね。
 祖父を見ていると健康寿命を伸ばしたいなって本当思う。できたら要介護にならずにはつらつじいさんになって90代になっても介護どころかバーベル上げたり、ヨガをやっているとかね。そんな老人になりたいな。そのためにはまずはぼちぼち運動すること。そして引き続き知的な活動をしていくこと。さらには霊性を深めて祈っていくこと。
 が、それにしても今日は疲れたな。何せ、朝の10時とか11時頃から途中、お昼も食べずに午後の5時近くまで病院で祖父のことにかかりっきりだったからな。もう少し家族への配慮が欲しいと思いつつも、家族という存在にひたすら甘えている社会があるのかもしれない、って社会批評してもしょうがないけどね。
 もう今日は疲労困憊。ぐったり疲れました。もうバタンキューであります、と言いながらもかろうじてこの記事を書いているわたしなので説得力がないかもしれないけれど、もう吐き気が生じてくる3、4歩手前まで来てるな。「レオはそこまで来ている。レオは怒りに燃えてる♪」などとウルトラマンレオの主題歌を持ち出すまでもなく、吐き気はそこまで来ているのだ。やばい。これは休まねば。ヘブライ語、今日はできないかもしれないなぁ。でも、いい。わたしの人生はまだまだ長いのだから長い目で見ていけばいい。
 今日はぐっすり眠れるかなぁ。って夕食後にコーヒーを飲んだら変な目の冴えが。飲むんじゃなかった。精神科医の樺沢先生もコーヒーは午後の2時までに飲むようにしといた方がいいって言ってたでしょ。だって飲みたかったんだもん。コーチー(注:コーヒーのこと)飲みたかったんだもん。いいでしょ、飲みたかったんだから。今夜、眠れないかもしれない。あぁ、今日の教訓。コーヒーは午後2時までにしましょう。って違うがな。そんな言葉で今日のこの記事をまとめていいわけがない。
「Are you happy?」の質問に「もちろん。絶好調だよ!! 人生って素晴らしい~!!」って答えられるようになれたらいいなって思う。そのためにはできることをやっていく。していく。そして、グレートな人生を送ってグレート・ほし・だいち。略してGHDになるんだ。ってキリスト教的じゃないって? いいの、いいの。幸せなら別にそれは悪いことではないんだからね。順境も逆境もどちらも自分の人生なのだから肯定していけたらと思うGHD志望の星なのでした。

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