今日は日曜日。ともなれば、教会の礼拝に出席しているはずなんだけれど、朝起きたら凄まじいだるさ。何とか、その猛烈な倦怠感の中、ベッドから起き出してといった感じで、とてもではないけれど教会へは行けない。そういうわけで、教会へは母一人で行ってもらい、ゆっくりまったりしていようとなったわけだ。
でも日頃の習性からか、教会を休んでいるにもかかわらず、ゆっくりまったりというのができない。どうも、何もしないのが苦手なのだ。瞑想だってその時には何かが頭の中では浮かんでいるわけで、「さぁ今からゆっくりまったりしてくださ~い」って言われても困ってしまうのだ。
そんな手持ち無沙汰のわたしだったけれど、どうも寝るとかえって疲れてしまうように思えたこともあって、まったりとアーユルヴェーダの本を読んでいた。が、じきに飽きてくる。そして、今朝だるかったということもあって、さらに疲れが上乗せされた感じになったようで、結構疲れてしまった。全然星さんそれじゃあ休息になってないじゃないですか。そうです、おっしゃる通りでごぜえますだ。というか、少し無理すれば教会行けた? 行けてた? いやいや、もう休んだものは休んでしまったんだ。過去は悔やんでも変えられないのだからくよくよしない、とは最近のブログの記事にも書いたことではないか。
時刻は10時10分。今頃礼拝やってるな。そんな中、ズル休みはしていないけれど、何だかズルしたっぽくなっている星さんはふとキャベツに水をあげなければならないことに気付いた。キャベツの水やりをせねば。そして、少し日向ぼっこでもしていよう。呑気なものである。水をあげ終わったわたしはプランターの周りに生えている雑草の群を見て感傷にひたっていた。彼らがとても大切な尊いことを教えてくれているような、わたしに語りかけて教師として身を持って示してくれているような、そんな妙な感覚に襲われた。以下、わたしがメモとして記したもの。
10時15分。
100年後にはもちろんこの草もわたしもいないだろう。いたとしても子孫がいるかどうかといったところ。国破れて山河あり。諸行無常の響きあり、だな。
100年後はみんな死んでいて別の世代になっているんだ。
人生80年、100年としてあと40年、60年か。
儚いうたかたの夢だわな。ビッグになっても、ならなくても、どんなに人生が幸福であっても不幸であっても、すべての存在に平等に死は訪れる。それでいいじゃないかという平安かもな。
10時26分。
(自分が)幸せかどうかということにこだわらなくてもいいような気がしてきた。ただしばらく生きて、そして死んでいく。それで何も不足がないように思えてきた。何をなしとげたとか、生前何をやっていたかとか、何を人生で達成したかとか別にささいなことなんじゃないの?
それよりも神様から与えられた命を精一杯自分でできる限り生き抜くことの方が大事なんじゃないかなぁ。
マツはマツの命をマツなりに、キャベツはキャベツの命をキャベツなりに生きている。だからわたしもわたしなりにわたしの命を生きていくんだ。そこに優劣はない。
10時37分。
そもそも優劣、優れているとか劣っているなんていうのは人間が自分たちで勝手にああでもない、こうでもないとこしらえて言っているだけなんじゃないの?
ただ、ある。そこにいる。それだけで十分すぎる位十分なんじゃないの?
なかなか自分でもいいところに気付けていると思うんだけれど、こうなってくると万物流転の栄枯盛衰って感じになってきて、テンションはだだっ下がりになってくるし、気持ちが水平どころか急に物悲しくなってくる。しまいには、
10時43分。
地球が太陽にのみこまれると考えられる50億年後にはさすがに人類はいないと思うな。人類は戦争でもして滅亡しているんじゃないか。
などと今から50億年後の地球滅亡のシナリオについて考え始めるありさま。うむ、完全に心が未来へ飛んじゃっていますな。
心を、視点を今に戻すんだ、というわけでそれから瞑想を始めた星どん。と、15分。あまり集中できていなかったけれど、そうしたら母が帰ってきた。
「おかえり」と出迎えて、それからお昼に。
で、お昼を食べました、と。かつ丼食べました、と。
そこからが、そこからがまずかったんだと思う。柿の種食べて、本日2杯目のコーヒーを飲んだら急に調子が悪くなりだしたのだ。その時のメモがこちら。
12時16分。
コーヒーを飲み終わってしばらくしたあたりから、急にネガティブな感情がこんこんとわき出してきた。かつ丼? 柿の種? コーヒー(2杯目)?
原因がどれかは分からないけれど急にうつっぽくなってしまった。コーヒー2杯目がまずかったのだろうか? 自分がとても不幸に思えてきてしまうのだ。
母が昼食の時にわたしの話に無反応だったのも気になり出してきて。ネガティブ。
そして、これを何とか鎮めようと、お湯にターメリック、ショウガ、シナモンを入れたティーを飲んだりいろいろやって、何だかんだで30分あまりが経過して、で、この記事を書き始めた、というわけなのだ。
何とか何とか、ネガティブ感情を鎮火できたわたしだったのだ。というわけで、ぐだぐだ不調日記を書くほどの不調には至らず、火の勢いが弱く小さいうちに消すことができたのだ。消火ほぼ完了。が、この今の記事を書いていたら少々また疲れが。
星さん、今日はあなたは体調不良で教会をお休みしたのですよ。だから、ゆっくりしていてくださいね。
そ、そ、その通りなのは分かっているんだけれど休むのが苦手でして……、とまた最初に戻りそうな気配がしたところで、この文章を終わりにしたいと存じます。
<本日の教訓>
疲れたら無理をしないで休みましょう。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。