モンシロチョウと共に

モンシロチョウ
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 結構大きめのキャベツの葉っぱをタッパーの中に入れると、もう次の日にはほとんどなくなっている。残されるのは青虫たちと彼らの大量のふんだけ。それもそのはず。何しろ20匹もいるのだ。20匹もいれば、食べる量もふんの量もけた違いなのだ。
 そんなわけでわたしのモンシロチョウ飼育がまた始まったのである。
 4月の初めくらいには、さなぎだったモンシロチョウたちも全員蝶となって旅立っていった。それはそれは感動的な旅立ちだった。号泣はしないけれど、一つひとつの旅立ちが本当に愛おしくて、「やったね」という気持ちと「元気でやってね」という思いが混じり合って、まさに小さな祝賀ムードになるのだ。
 また一から、卵からスタート。すべては卵から始まる。卵から孵ると、早速キャベツの葉を食べ始める。体が小さいから、食べる量も本当にごくわずかで、もちろん、目に見えるかどうか定かではないくらいのまるで砂粒のようなふんをする。
 しばらくすると、体が急成長していき、大きくなっていく。食べる量も増えていき、ふんも大きくなっていく。食べる、食べる。よく食べる。
 そして、現在。もしかしたら、今が一番食べる時期なのかもしれない。口をせわしなく動かしながらキャベツの葉をどんどん平らげていく。その様子を眺めていると、見ているこちらも幸せな気分になってくる。キャベツを彼らほどおいしそうに食べるのって無理なんじゃないの、って思うくらいだ。キャベツを食べる。それもひたすら暇があれば食べる。食べ続ける。こうなると、タッパーの中もこまめにお掃除してきれいにしてあげなければならない。2日に1回くらいはタッパーの中に入れてある2枚のティッシュを新しいものに交換する必要がある。ちなみに、このティッシュがすごく重要で、はじめのころティッシュを入れないでやっていたら、中がふんでグチャグチャになって、幼虫たちが腐って死んでいってしまった。その苦い経験があるので、モンシロチョウを育てる時には必ずティッシュを入れるようにしている。
 結構な大きさの青虫が20匹もいると圧巻である。小さな緑色のウインナーがたくさんあるといった感じで、これを蜂が見たらきっとよだれを垂らすだろうなって思うくらいだ。でも、蜂には食べさせません。何が何でも蝶にして送り出すんです、などと自然界の掟に逆らっている星のモンシロチョウ飼育だが、まぁ、無事に育っていってくれたらいいなと思っているのだ。
 老眼で最初のころは幼虫たちが見えなかった母も、ここまで大きくなればはっきりと見えるとのことで、二人で日々彼らの成長を喜びながら見守っているのだ。「大きくなあれ」と青虫軍団にエールを送るわたしたち親子である。
 モンシロチョウはカブトムシやクワガタなどとは違って、一切お金にならない。ただ、育てたいから育てている。わたしが思うに、こうした営みは本当に貴重で尊いものだなと思う。お金にならないことでここまで喜べるなんて、何て幸せ者なんだろう。
 わたしたちはともすると、お金を掲げてしまう。もちろん、お金がなければ生きていくことはできない。けれど、お金にならなくても心を豊かにしてくれるものがある。わたしはそんな大切なことをモンシロチョウたちから教わってきたように思う。
 そうだな、いつかモンシロチョウを絡めた長編小説とか書けたらいいな。実際にモンシロチョウをわたしは育てているから、きっとその作品はいきいきとしたものになるだろう。で、昆虫小説ブーム到来?(って星さん、また金になること考えてるよ。お金にならなくてもいいんじゃなかったの? 言行不一致だよ。)昆虫小説の名手、星大地? それはともかくとして、モンシロチョウを育てることはこれからも続けていきたいな。もうこうなったら、家紋をモンシチョウにしたいくらいだよ。星家の家紋にはモンシロチョウの図柄が刻まれていて、ってね。
 今育てている20匹がまた、ちょうちょになる日が待ち遠しいよ。6月くらいまでにはちょうちょになってるんじゃないかな。モンシロチョウって短い期間で成虫になるからね。
 モンシロチョウと共にあるわたしの人生(になってきた)。彼らに出会わせてくださった神様に感謝、感謝です。ありがとうございます。

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