星さんちのモンシロチョウ祭りも8匹の蝶が誕生して巣立っていき一段落となった。そして、今、第二陣としてまた卵からモンシロチョウを育てる営みが始まった。そういうわけでモンシロチョウ祭り第二弾なのである。
そんなわけでモンシロチョウを育て続けているわたしなのだが、ふと思ったことがあるので書きたい。これはなかなかいい気付きだと自分でも思ったので皆様と共有できたらと思った次第である。
わたしは未婚の独身だ。それなりに独身生活を謳歌していて、自分の好きなようにやらせてもらっている。ふと思う。子育ては大変なのだろうか、と。女性とお付き合いしたことさえないのに、子育てのことを考えるのは飛躍し過ぎているのかもしれないが、考えてみたりするのである。それで考えてひらめいた。何をひらめいたかと言うと、「子育てをする前に何かを育てる経験をした方がいいのではないか」ということなのだ。
何かを育てる経験。わたしは人間の子どもを育てた経験は皆無なのだけれど、このことを母に言ってみたら、「その通りだと思う」とのことだった。何かを育てる経験もなしで、人間の子育てをする。これはステップが急すぎるのではないかと思うのだ。何にせよ、育児放棄に児童虐待が起こっている昨今である。これはわたしの推測だが、何かを育てるという経験が不足したまま、子育てに突入する人が多いのではないか、と思う。だから、うまくいかなくなってしまうのではないか。
育てる。それは楽しいこともあるけれど、楽しいことばかりではない。モンシロチョウの飼育で言えば、幼虫さんたちが葉っぱをムシャムシャおいしそうに食べているのを見るのは楽しい。だけど、うんちもたくさんして汚れるから、タッパーの中に敷いてあるティッシュを交換しなければならない。キャベツがなくなればなくなったで、新しいキャベツの葉を投入しなければならない。手間がかかる。悪く言えば面倒なのである。でも、モンシロチョウたちのためには、やりたくない時であっても重い腰をよいしょとあげて、オーバーに言えば一肌脱がなければならない。何かを育てるというのはそういうことなのだ。その育てている対象(というと少々堅苦しいが)に労力を注いである程度の時間を割かなければならない。つまり、大人になるということなのだ。子どもみたいに自分のことだけ考えているのでは何かを育てることはできない。世話をするためには大人にならなければならないのである。
もちろんみんなそれぞれやりたいことがあって、自分のためにできることなら時間を使いたいものだと思っている。でも、そこをこらえるというか大人になって育てている対象に時間を使うのである。
それから、育てるということには「責任」も発生する。わたしがモンシロチョウのうんちをそのままにしてティッシュも交換せずに放置しておいたら、タッパーの中がカビだらけになり、幼虫さんたちは体がかびたり腐ったりして死んでしまうだろう。キャベツの葉っぱがなくなったのに、新しい葉っぱを入れてあげなかったら餓死することだろう。高温多湿の場所にタッパーを置いておいたら高温になって次々に死んでしまうことだろう。幼虫さんの生き死にはすべてわたしにかかっているのである。だから、もしも幼虫さんを死なせることにでもなったら、それはわたしの責任なのである。これは言うまでもなく当たり前のことだ。
モンシロチョウだったら、と言うと幼虫さんたちに怒られそうだが、仮にわたしの世話の仕方が悪かったり怠ったりしたために彼らを死なせてしまったとしても日本の法律としては罪に問われることはない。虫を殺すことはよくない。けれど、逮捕されるとか、懲役になるとかそういうことにはならない。しかし、人間の場合だったらどうか。逮捕されるし殺人として懲役○年になる。虫と人間では大切さが違う。人間の方が比較できないほど大切だ。だから、もちろん死なせてしまった場合には人生が大きく変わってしまうし、そうした場合の罪ならびに責任は言い表せないほど重い。
だから思うのだ。人間を育てる前にまずは人間以外のものを育てる経験をした方がいいのではないか、と。植物でも虫でも動物でも何でもいい。(でも、動物は責任が重いからまずは植物や虫ではじめてみる。)とりあえず何かを育てる経験を積んでおくことが必要ではないだろうか。山にたとえるなら、人間の子育ては富士登山だろうか。いきなり富士登山をするのはきついだろう。まずは、町内の坂道をのぼることくらいから慣らしていった方がいいのではないかと思う。だんだんと負荷をあげていけば、気が付くと富士登山ができるくらいの体力になっていることだろう。まずは、植物や虫を育てることから。そして、ステップアップしていく。いきなり人間の子育てをすることに比べたら、この段階的な取り組みには無理がない。
以上、モンシロチョウを育ててみてわたしが得た気付きである。子育てをすることについて不安のある人はまずは人間以外の何かを育てる経験をしてみてほしい。そうすればきっといい方向へとつながっていくことだろうと思う。
育てる。楽しいことばかりではないけれど、育てることには無上の喜びがある。
個人的にはプランターにキャベツを植えて、それからモンシロチョウを育てることを強く強くおすすめする次第であります。(星の個人的意見)あなたも何かを育ててみませんか?
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わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。