中学生の時にふと感じた満たされない気持ち。その正体がやっと今頃になって分かった。それはすべてが過ぎ去ってしまうことへの空しさのようなものだったのだ。
どんなにおいしい食事も、楽しいゲームも、お祭りも、つまり、どんなことにも終わりがある。それがどこか寂しくてそのことに不満のような何か言いしれぬ感情を抱いていた。その時間が楽しければ楽しいほど、それが終わると力が抜けるというか、我に返る感じで「あぁ、終わってしまった」と思う。
中学生のわたしは心のどこかで永遠というものを求めていたのかもしれない。終わることのない、ひたすら続く歓喜の時を。
でも、そんなのはこの世界というか、日々の日常にはないことが分かった。すべては無常で変化して始まりがあれば終わりがある。永遠の至福なんてものはない。
だからこそ、わたしは永遠というものに憧れてキリスト教の洗礼も受けたのだろう。キリスト教を離れた今も、悟って解脱して永遠に安らぎを得られたらいいなぁと思うわけで、結局永遠がほしいっていうことなのだろう。
でも、インド哲学のヴェーダーンタを学び始めて、もしかしたらそんな手に入れようとしなくても、もう既にわたしはその永遠であって、ただそのことに気付いていないだけではないかという気がしてきた。この「気がする」というわたしの直感。ヨガの先生は「すごく大事だよ」って言ってた。気付き始めてる? どうなんだろ?

変な人。
普通ではないと思う。
わたしが思っていることを言うとみんなひく。
そして、目の前にシャッターを下ろされて、
まさに閉店ガラガラ~。
わたしは気が付くと蚊帳の外。
なぜなら、今、大人気の
カヤノソトボーイズの2期生の瞑想担当だから。
最近、瞑想してないけど。でも、瞑想担当なんで。
そう、なんか浮いてるの。
この世界、日本という社会から。
わたしは何だかんだ生きづらい人生を送ってきた。
「もっと苦しくてつらい人はいっぱいいる。
お前のは大したことないだろ」、と言うやついるけれど、
苦しさ、大変さ、生きづらさはその人が感じていること。
その人の苦しさを分かっているのはその人だけ。
気が付いたら職歴ゼロ、社会経験ゼロの立派なメンヘラのおじさん。
わたしはしゃべんないほうがいいと思う。
しゃべるとその見た目にあまりにもギャップがありすぎるから。
わたしが自分のことを語れば語るほど、
女の人はがっかりします。失望さえします。
でも、いいじゃないの。
普通じゃないのがわたしなんだから。
わたしは風になりたい。
風になってただ吹いていたい。
【属性】
男。大学中退。吃音。統合失調症。精神障害者。希死念慮あり。現実感の喪失。無職。プロテスタントのクリスチャン。ヨギー。スターシード。英検3級。茶髪。HSPとASDの可能性あり。細身筋肉質。
