わたしはこの本の存在をThe yogis magazine vol.1という最近創刊されたばかりの雑誌から知った。その文章は短かったけれど、すごくきれいなお姉さんが自分の本を手に持ってカメラの前で笑っている写真と共に簡単な説明が書いてあって、どうやらこの人は世界的なトップモデルということらしい、とわたしは知ったのだった。このクリスティ・ターリントン『リヴィング・ヨガ YOGAのある生活』という本はヨガを汗くさい苦行のようなイメージやヒッピーのあまり好ましくないイメージから解放した画期的な本だったのだ。この本を皮切りにしてアメリカのハリウッドのセレブたちや芸能人、アスリート、モデルなどへとヨガは大いに広まっていって一大ムーブメントを巻き起こした。そういう意味でこの本はキーブックのようなもので、ヨガの歴史において重要な意味を持っている。
表紙をまず見るとまず息を呑む。クリスティがヨガのポーズを取っているのだけれどそれがあまりにも美しいのだ。私事としては高校の時に学年で一番かわいかった女の子のことを思い出す。彼女はここまできれいではなかったけれど、それでも何だか通ずるものを感じる。その女の子がかわいくて綺麗すぎたから世間でアイドルがどうのこうのと言っているのが理解できなかった。テレビを見なくても、アイドルの写真集を買わなくてもそれ以上にかわいい女の子が自分の学校にいるのだ(ただし当時のわたしにとって広末涼子だけは直視できないほどの存在で女神様だった)。が、ここでわたしがこうした個人的なことを述べても大して面白くはないだろうからこれくらいにするとして、ともかくこのクリスティは世界的なトップモデルでまさに美を極めたと言っていいだろう。
そんなモデルの中でも頂点に君臨したと言ってもいい彼女がヨガをやっていると言う。ともなればみんなヨガに注目することだろう。そんなわけて世界的なトップモデルが紹介するヨガの世界とはどんな感じなのか気になり、わたしは読んでみることにしたのだった。
この本、一言で言うと、すごく真面目です。おちゃらけたというか、ふざけたところが一切ない。ものすごくこのクリスティという人は本を読む限りでは真面目な人ですごくストイックな人なんだ。またやると決めたことはとことこん追求していくし(インドへ巡礼をしに行ったりアシュラムへも行ってヨガをやっている)、やりすぎて体調を崩すくらい頑張ってやる。もちろん上には上がいるから、生涯をヨガに捧げた人から見たらまだ甘いのかもしれない。この世の成功だったりステータスだったりを捨てることができていないという意味においても全然執着を捨てることができていないと見る向きもあるかと思う。でも、わたしのようなお家でヨガのDVDを見ながらヨガをやる程度の人から見たらまさに雲の上のような人と言ってもいい。彼女の文章を読んでいるとわたしはまだまだなどころか駆け出しで始めたばかりなんだと思わされる。いい意味で刺激をいただきました。
わたしが彼女と共通するところ。それは二人ともクリスチャンであるということ。クリスティもキリスト教徒なんだ。ただ違うのはわたしがプロテスタントなのに対して彼女がカトリックだということ。そういう意味で彼女がヨガの自力的な発想だったり行き方に違和感だったり抵抗を感じたといった記述がこの本になかったのはやっぱりそうだよなと思った。カトリックはユダヤ教までは行かないのだけれど、それでもプロテスタントよりは自力なんだ。善行をすることをカトリックは奨励しているし、そうして善行を積み重ねていくことによって天国に入ることができると考える。だからその天国に入るための善行のポイントが足りない場合、天国でもなければ地獄でもない煉獄という場所へと死後に向かうのだとカトリックでは教えるらしいんだ。この話で分かる通り、わたしはプロテスタントだからカトリックのクリスティ以上にヨガをやることに対して最初抵抗を感じた。とまどいを覚えたほどだったんだ。プロテスタントは徹底的に他力的なんだ。だから、神様に頼らないで自分の力で何とかしよう、っていうのが一番いけないことだし、自分の力で何とかできるのであれば神様なんて要らないことになる。本の中では、自分を幸せにできるのは自分だけだ、みたいな文章をクリスティは引用していたけれど、それが一番やってはいけないことだとわたしは常々教えられてきた。自分は何もできません。だからお救いくださいっていう姿勢が何よりも大切だとプロテスタントでは教えられるんだ。まぁ、そうした抵抗だったり困惑をわたしは神様はそんな小さなことにこだわられないだろう、と考えることによって乗り越えたんだけれど、それでもキリスト教徒などの他宗教を信じる人間がヨガをやるっていうのはすごく抵抗を感じることなんだ。
さて、この本の要というか、わたしがクリスティから教えられたことの中でも一番際立っているのがヨガを通して今という瞬間に集中するというごくごく当たり前のことだった。
もっとも大切なことは、ヨガは、今という瞬間に自分を何度も戻してくれることです。(同書p252)
さらに彼女は核心を突いたことを言う。
私たちが本当に持っているものは、私たちが存在しているその「瞬間」だけであるということに気づきます。これほど大切なものは他にありません。(同書p252)
わたしたちはいろいろなものを持っている。けれども本当に持っているもの。それは自分が存在しているその瞬間だけ。わたしが、今、ここにいるということ。存在しているということ。それがどんなことよりも尊く価値がありそれ以上に大切なものはそもそもない。彼女はこう言いたいのではないかと思う。だからこそ、この今という瞬間、瞬間を生きるヨガや瞑想の技法が意味を持ってくる。そしてヨガは今に生きていることを日々の喧噪のあまりに見失いがちなわたしたちをまた今へと、この今という瞬間へと何度も戻してくれるかけがえのないものなのだ。さらに彼女は次のようにも言う。
そして、もし一瞬一瞬を大切に考えることができれば、過去や未来に対する心配は無くなってしまうでしょう。(同書p252)
不安になったり過去のことを思い出して後悔することも時には必要ではある。けれどもそれらに人生を持って行かれてしまうのではなくて、今を生きる。今という一瞬一瞬を大切に考える。そうすれば未来への不安や過去の出来事への後悔に縛られないで済む。ヨガはそういう意味でわたしたちを過去と未来から解放してくれるものでもあるのだ。
わたしにとってこの本がどんな本だったかと言うと、ヨガ的な宝石が散りばめられているためになる本だった。とは言いつつも彼女の個人的すぎる話には少しばかり付き合うのが大変に感じるところもあった。でも、そんなところが彼女らしいのだろう。そして、トップモデルである以上、彼女の個人的な話を聞かせてほしいというニーズをしっかりと満たせている。
端的に一言でこの本を強引にまとめるとするならこうなるだろうか。彼女のこの言葉がこの本を一言で見事に要約している。
今を生きましょう。(同書p252)
ってまとめすぎだろ、と思うかもしれない。でも、ヨガとは今を生きましょうということだとわたしは思っている。過去や未来を手放して、そして怖れをも手放して今を生きましょう、ということ。ヨガや瞑想を通して、今に集中して今を生きること。そして、どこまでも今を生きることに集中していった結果、本当の自分自身である真我を発見し、その真我が宇宙の真理と一体であることを悟るに至る。でも、何もそこまでの深い悟りの境地に到達できなくても(わたしも到達などしていないし、おそらく死ぬまでに悟ることも無理)今を生きることができればそれこそが幸せな生き方なのだろうし、それでいいようにも思うのだ。
今を生きましょう。怖れや執着を手放して。それこそが人間に可能なもっとも平安な生き方なのだから。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。