恵まれている日本のわたしたち

いろいろエッセイ
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 今朝、ある本を電車の中で読んでいたら、日本人、そしてわたしは恵まれているんだなぁとしみじみ思った。
 その本には各家庭、一部屋にテレビが一台あって、自家用車も1、2台あるというのは世界的に見たら相当生活レベルが高いことのようなのだ。最近では、ほとんどの日本人がスマホを持っていて、ネットにつながっているのが当たり前のこととなっている。
 が、道を歩いていても、電車に乗っていても、暗い顔をしている人や、不満そうだったり、怒ったような険しい表情をしている人が大半で全然幸せそうな感じがしない。
 かく言うわたしも気が付くと、不平不満などをつらつら実際に言うことはなくても、頭の中で展開してしまう時がある。
 世界を見れば、テレビも自家用車もスマホはおろか、果ては義務教育でさえもろくに受けられない人が億単位もいる。貧しくて教育が受けられなければ、文字が読めないし、そうなれば稼げる仕事には就けない。
 わたしは何て贅沢なことで悩んでいたのだろうとその本を読んでいて思った。優雅で贅沢な生活ができていないことや、自分が高卒であることに引け目を感じて、それができている人たちを羨んで憎みさえしていた。
 でも、わたしの生活も貧しい国で生きる彼らから見たら贅沢極まりないものだろうし、高卒も家が貧しすぎて義務教育さえ受けることができなかった人たちからしたら何と恵まれていることだろうか! それにわたしはガラケーにタブレット端末にノートパソコンまで持っていてネットまでやっている。これはもう天国なのだと思う。彼らからしたら。
 でも、それが当たり前になってしまうと感謝できなくなるものなのですね。そして、不平不満ばかりつらつらといつも言っている。
 でも、本当は感謝した方がいい。いや、感謝すべきなんだ。自分が恵まれていることに気付けた時、いつもの景色が急に輝き出した。

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