訳あって洋服屋へと行ったわたし。そこはカジュアルな洋服のお店で、わたしには到底関係がない場所だった。が、入った。たまにはジャージではなくて、カジュアルもいいかなと思って。
入ってみたものの、全然心がときめかない。それに障害年金しか収入がない貧乏なわたしにとっては、そこでお買い物をしている人たちがすごく裕福そうに見えてしまって、いたたまれなかった。
けれど、せっかく来たのだからと、良さそうな色の服を選んでいざ試着。うーん、何か違うような。自分が大切にしたいイメージとちぐはぐになっているような。そんなことを思った。さらには、今の流行のデザインそのものが何か気に入らない。横幅が広めでゆったりしていて、というのがどうもしっくり来ない。
そう思う理由が試着を終えて元の服(ジャージ)に戻った自分の姿を鏡で見て分かった。何だ。もう十分かっこいいいからだ、と。
鏡の中のわたしは、ジャージを着ていて、黒く日焼けをしていて、体つきがヨガをやっているからか、ものすごくたくましくてしっかりとしていて、目はパッチリとしていて、研ぎ澄まされているような感じがしていた。何か目新しかったり、おしゃれなデザインだったり、高級な布地であったり、といった洋服などに頼る必要などはなかった。
要するに、自分の肉体というものがどんな高級な衣服にも最新の流行にも優っていたのだ。そのことに気付いて何だかほっとした。
最後にはその人がどう生きているかということ。それがかっこいいかどうかということなんだと思う。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。