中学生の時にふと感じた満たされない気持ち。その正体がやっと今頃になって分かった。それはすべてが過ぎ去ってしまうことへの空しさのようなものだったのだ。
どんなにおいしい食事も、楽しいゲームも、お祭りも、つまり、どんなことにも終わりがある。それがどこか寂しくてそのことに不満のような何か言いしれぬ感情を抱いていた。その時間が楽しければ楽しいほど、それが終わると力が抜けるというか、我に返る感じで「あぁ、終わってしまった」と思う。
中学生のわたしは心のどこかで永遠というものを求めていたのかもしれない。終わることのない、ひたすら続く歓喜の時を。
でも、そんなのはこの世界というか、日々の日常にはないことが分かった。すべては無常で変化して始まりがあれば終わりがある。永遠の至福なんてものはない。
だからこそ、わたしは永遠というものに憧れてキリスト教の洗礼も受けたのだろう。キリスト教を離れた今も、悟って解脱して永遠に安らぎを得られたらいいなぁと思うわけで、結局永遠がほしいっていうことなのだろう。
でも、インド哲学のヴェーダーンタを学び始めて、もしかしたらそんな手に入れようとしなくても、もう既にわたしはその永遠であって、ただそのことに気付いていないだけではないかという気がしてきた。この「気がする」というわたしの直感。ヨガの先生は「すごく大事だよ」って言ってた。気付き始めてる? どうなんだろ?

エッセイスト
1983年生まれ。
静岡県某市出身。
週6でヨガの道場へ通い、練習をしているヨギー。
統合失調症と吃音(きつおん)。
教会を去ったプロテスタントのクリスチャン。
放送大学中退。
ヨガと自分で作るスパイスカレーが好き。
茶髪で細めのちょっときつめの女の人がタイプ。
座右の銘は「Practice and all is coming.」「ま、何とかなる」。