『アシュターヴァクラ・ギーター』というインドの聖典がある。その中に、思うがままに子どものように自由にふるまう、というようなことが書いてあって、それこそが悟った人の境地だと言うのだ。
それを読んでわたしはあっけにとられた。でも、それはもっともだなと思った。なぜなら、小さな子どもたちを見ているとその通りだからだ。
子どもにはまず怖れがない。そして、目にする物がすべて新鮮でキラキラ輝いて見えている。ただただ世の前に現れるいろいろなものに好奇心を全開にして向き合う。もちろん、何のために生きているかとか何のためにこれをやるのだろう、なんていう目的や目標なんてものはない。ただ生きている。今の瞬間を無心で何の損得も考えずに夢中になって生きている。
そんな彼らと比べて、わたしも含めた大人たちがどれだけ目が死んでいて、怖れや不安にとらわれていて、悲観的で、そして、ものすごく打算的で損得勘定で生きていることか。目的や目標がなければダメだ。無駄なものは無駄でしかないから切り捨てる、とつまらない干からびた感性で生きている。
成し遂げることや達成しなければならないことなんてないと聖典は言う。ただこの人生を自由に子どものように遊ぶように生きればいい。世界も自己も他者もすべて幻。だからこそ、子どものように何のこだわりもとらわれもなく生きる。その飄々としたあり方、すごくいいと思うなぁ。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。