「ブログを毎日更新中」などと公言しておきながら、ここしばらく更新していなかった。書いてあることと違うだろ、と思っていた人もいたことだろうと思う。毎日営業中とか言いながら、何も言わずに店を時間になっても開かないような、そんないい加減な感じであったことをまずはお詫びしたい。
それで私事だけれども、今朝久しぶりにテレビを見た。ヨガの道場が今日はお休みの日だったからだ。
テレビを見ていて思ったことは、どうしてこうも勝ち組というか、優れた人たちだけが出ているのだろうということで、ひたすら美男美女のアイドルや俳優、一流のスポーツ選手、さらには今人気がある芸人、大物政治家などの様子がひたすら映し出されている。
まぁ、これは当たり前と言ってしまえば当たり前のこと。そこらへんの特にかっこいいわけでもない普通のお兄さんや平凡なお姉さんなどを主役に祭り上げても何も面白くないからだ。何千人、いや何万人もの人たちから選ばれた日本でもトップクラスの美男美女だからこそ見ていて面白いし、その方が見ていて気持ちがいいからだ。
そんなきらびやかな世界を見ていたらだんだん消耗してきて、それにひきかえわたしときたらとメンタルが若干下がってきた。比べるなと言われても普通比べてしまう。わたしの場合は男だからあれだけのイケメンや優れたスポーツ選手などを見てしまえば。
消耗してきて疲れてきて自分が何者でもないことを突きつけられたわたしはそれから瞑想をした。
その瞑想していた30分間あまりの時間ですごく本質的なことに気付けたのでそれをシェアしたい。それを一言で言ってしまうと「すべては等価で等しい」というただそれだけのことだった。やっぱりそうなのか、そこにたどり着くのかとすごく納得さえした。さらには深い静寂というか安らぎにその瞑想している間包まれた。
河原とか海に転がっている無数の石ころと宝石店で売られている高価な宝石。トイレの時にお尻をふくトイレットペーパーとお金の札束。邪悪な人と聖者。悪人と善人。頭が良くない人と頭脳明晰な人。仕事ができない人とできる人。貧乏人とお金持ち。この明らかに価値に高低があり、優劣があり、貴賤さえあるこれらの対極にあるものが同じ価値ではないかという気付き。それらを眺めている澄み切った眼差し。その美しい目で世界を眺めるときっとすべては等価で等しいものだという風に見えるのだろう。そして、その万物さえもがかりそめのもの、あるいは幻や夢なのだということが分かるのだろう。もちろんわたしはこのことを確信するまでには至っていない。でも、悟って解脱すると世界がそのように見えるのではないかという気がする。その澄み切った眼差しから見える世界は、もはや善悪も価値も美醜もなくなって消え去っている。強いて言うなら、ただ世界がある。いや、あるように見えて幻なのだ。そんな境地へとたどり着くのではないかとわたしは想像するのだ。
そんなことを瞑想しながら感じていた。と同時にわたしはこの感じたことを確信するというか、自分自身で感じるためにヨガをやっているのではないかと思えた。すべては等しくて等価だというただそのことに気付くために。そのために毎日のようにヨガをやって心身ともに浄化してたくましくする。ヨガをやって体を強くして、長い時間、瞑想のために座っていることができるようにするのがヨガのポーズを取ることの目的。そして、瞑想をして悟りへと至る。ヨガは悟りへの道でそれが本来の目的。
すべては等価。そのこと以外は余分なものなのかもしれない。本当に必要なことはそのことだけで、万物が海に立ち現れる波でしかないというそれだけのこと。すべては本質的には海の水でしかない。その水がただ波として一時的に現れている。だから等価。
わたしは気付きはじめているのかもしれない。その一点。その一点について確信したいし、そうだと感じたい。これがおそらく結論なのではないか。そんなことを思った。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。