先日、精神保健福祉士のWさんがいる日に精神障害者のサロン、地域活動支援センター(略して地活)へ行ってきた。お目当てはWさんに会うことではるばる行ってきたのだ。
が、Wさんは変わっていた。痩せてきていて、顔色もあまり良くなくて、まさに干からびている感じで、精気が感じられない。
話を聞くと調子があまり良くないらしい。最近の梅雨の時期特有の不調だと本人は言っていたけれど、何でも今まで家のことをやっていてくれた義理のお母様が病気になり、その分をWさんがやらなくてはならなくなったとのこと。さらには、ここ1ヶ月あまり仕事がない休みの日が1日もなかったと言う。
そんな彼女の話を相槌を打ちながらわたしは聞いていた。となれば、どうにかしてあげたいという気持ちが疼くわけで、「運動、食事、睡眠の三本柱です」というありきたりなアドバイスをして話を終えた。
翌日の朝、わたしはWさんへのメールを書いていた。わたしは彼女に文中で問いかけた。もしもWさんのところにWさんと同じような状況の苦しそうな人がやってきた時にあなたは何とアドバイスしますか、と。今のままでいいとは言えないはずで、本人の負担を少しでも軽くしようとするのではないですか、と問うたのだ。
どうしてWさんは人には優しくできるのに自分には優しくできないのだろう? みんな大切な人なのだからそのみんなにはWさんも含まれている。みんなが幸せになる必要がある。彼女が自分を犠牲にしてまでみんなを幸せにしようとする姿がとても切ない。自分に優しく人に優しくがいいと思う。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。